とてもずるくて

僕が中学2年生のとき、林間学校のクラス標語を決めるHRでの出来事。

席順の班で何か一案ずつ出して多数決で決める、そんな流れだった。黒板を埋めるソツのない標語。そんな中、ある班の代表の、女子の中でもリーダー格の女の子が黒板に文字を書き始めると、なんとなく色めき立った雰囲気になった。

「腕筋(うできん)鍛えて思い出掴むべ」

若干誤りがあるかもしれないけれど、「腕筋」と書かせて「うできん」と読ませるということと、「思い出を掴む」みたいなニュアンスが入ってたのは確か。
各班で、ニヤニヤしている「1軍」(クラスの女子たちは3つのグループに分かれており、バスケ部とかテニス部とかの子が多い一番賑やかで発言力のあるグループを、僕ら男子はそう呼んでいた)の女子たち。給食終わりの休み時間に、頭を付き合わせて騒いでいたのは、これか。

当時、「思い出を掴む」という言葉に違和感、というより嫌悪感を抱いたのを今でもよく覚えている。

「思い出って、体験したことの中で、なんか奇跡的っていうか、そうじゃなくても忘れられないこととかが、自然に残っていったもののことをいうんじゃないの。思い出を作るとか掴むとかって、それが思い出になるとわかって、思い出にすると決めて、行動を起こすってことでしょ。それって、ずるくない。そうやって掴んだ思い出って、なんか汚れてない」

隣に座ってた別の1軍女子に、そんな感じでいちゃもんつけたりもしたっけ。この子はのちに一緒に生徒会に所属する子で、こういう感覚をわかってくれそうな子だった。というより、わかってほしかったんだろうな。多分、言いたいことはわかってくれていたと思うけど、それだけに、傷つけてたりもしたかも。

やはり、1軍の発言力は強い。女子、みんなそこに手を挙げていた。そもそも、割と気の利いた案がこれくらいしかなかった、ってのもあったんだけど。結局、標語は腕筋なんちゃらに決定した。

んで、彼女たちの中で、黒板に文字を書きにいった例のリーダー的存在の子がクラスのバスケ部の野郎に告った。それを聞いた時、めちゃくちゃ納得がいったよね。そして、ひどい別れ方をした。というか別れた後ひどかったんだっけな。そのへんは忘れた。今なにやってんのかな。

今大人になって、そして「記念撮影」を聴いて思うのは、彼女は「とても楽しくて」そして「ずるくて」、そして愚かでもあった。でも、決してそれだけの存在ではなかったということ。少なくとも当時の僕よりは、直観し行動に移した。大げさに言えば、危機として捉えていた。

終わる魔法の中にいたことを。


記念撮影

記念撮影