笹本碧さんへ

笹本碧さんという歌人が、「ここはたしかに」という歌集を遺し、およそ1年前に34歳の若さで亡くなっていたことを新聞の記事で知りました。

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自分と同じように、BUMP OF CHICKENの音楽を深く愛していたといいます。「地球や宇宙、自然がテーマの歌を中心に161首」に闘病の歌などを加えて、453首が収録された、ここはたしかに 完全版をすぐさま購入。自分が特に好きだったのは「借りているだけ」という2015年ごろの連作です。

戻れない螺旋軌道の中にいて四十六億回目の初夏

命の宿痾。差し込む光。

赤血球思い出したらあんぱんを食べたくなるのは君も同じだね

確かに食べたい。おんなじものが流れているから?

クエン酸回路ほのかに唄うとき転がってゆくレモンスライス

資料集に載ってたレモン。口ですうはあ、体でくるくる。

呼吸する私はもちろん知っている宇宙飛行士(コスモノート)にはなれないことを

なぜなら宇宙に酸素がないから。かくして地上で呼吸を続ける。

ひまわりを目指して伸びる向日葵よこの上何キロまで空ですか

太陽の反対側に回っても向日葵が枯れても「ずっと回り続ける気象衛星」。

本当は植物たちからこの星を借りているだけ 枝毛見つけた

その星に生まれ落ちたわけだから、おんなじ道をたどるのは道理。

宇宙や自然と、人間との相似形をぴたりと言い当てている歌に目が止まります。

他にもたくさん。時代を追って挙げるなら。

二〇一五年夏〜秋

複眼に映す夕焼けこの吾が明日いなくても天気になあれ

トンボか?ああカゲロウだ!それならハチでも、ハエだって…いや、僕たちなんですね。

二〇一五年冬〜二〇一六年春

六分の一の速さだ落ちてゆく塵思いつつのりたまを振る

花より団子、それってつまり秒速何センチ?

二〇一七年春(一)

ちょっとだけ出掛けてきます水筒にみずをそそげば那由多の青だ

「孤独の果てに立ち止まる時」、そのふたを開けるのでしょう。

南風(二〇一七年春〜夏)

強くなれたとは思わない弱いまま戦うつもりで今日ここにいる

あなたはそう歌う。でもぼくはこの歌を口ずさむごとに強くなれそうです。

二〇一七年夏

吾のうち七割は水お隣で泣いている駅員さんも

優しくはないんだけれど7割は優しさでできている。

いつの間に(二〇一七年夏〜冬)

わらいましょうきみが笑えばそれだけできみのまわりは重力がない

相対性理論を補強するファクト。「天才なのかもしれないよ」。

そして闘病の時代へ。その中にも宇宙や自然の光が差し込む。いや、その光をしっかり掬い上げようとしている。

二〇一七年十二月〜二〇一八年一月

もう既に闘っていた吾(あ)の体これから気持ちも一緒に闘う

二〇一八年春

掬い上げおさめてゆくのだ「歌になりたい」ときゅらくら騒ぐことばを

二〇一八年九月〜十一月

もう完治せぬと言われてみる空はいつもと同じでただ青いのみ

きみはハッブル

見上げればそこにいるよね彼(か)のひとの夢を受け継ぐきみはハッブル

二〇一九年二月〜六月

確実に強くなっていく腰痛が今から思えばアラームだった

いずれの歌も、宇宙や自然、そして人間への慎ましやかな視線で編まれているのが分かります。そして、BUMP OF CHICKENの楽曲が深く笹本さんの中に息づいていたことも。高校時代に天文部で培われた天体の見聞や、東京農工大在学中に学んだ生命への知識を土台に、藤原基央という「ハッブル望遠鏡」を通して見た世界を、短歌という形式で記述する。彼女が残した短歌のうち、少なくない数はこのような生まれ方をしたのではないでしょうか。

偶然は積み重なって丸くなるここはたしかに地球の上だ

 歌集タイトルにもなっているこの歌。“何光年も遥か彼方からやっと届いた飴玉だよ”と歌う「飴玉の唄」*1と“未来永劫に届きはしない あの月もあの星も 届かない場所にあるから 自分の位置がよく分かる”と歌う「stage of the ground」が想起されます。

この歌が読まれた時、笹本さんは31歳。今この記事を書いている自分と同じ年でした。「あの時私は本当に幸せだった。だからこの本は、あの朝のおかげでできたと言えるのかもしれない」。34歳の病床で、歌集のあとがきにはこう記しました。

あとがきと寄稿まで読み終えて、なんともいえない悔しさを覚えました。年齢も、住む地域も近かった。街のどこかで、ライブ会場で、すれ違っていたかもしれない。ひょっとすると10代のころ、BUMP OF CHICKENのファンサイトの掲示板でやりとりを交わしていた可能性すらある。でも自分は、笹本さんの存在も作品も苦しみも全く何も知らないままでいた。冒頭の新聞記事が書かれていなかったら、一生そのまま生きていただろう。もし今も笹本さんが生きているなら、メールなりSNSなりこのご時世いっくらでも連絡手段はあるんです、バンプの歌詞とか、作品作りのこととか、話をしてみたかった。

その願いはもう叶うことはないから、せめて笹本さんの歌を口ずさもうと書いたのがこの記事です。会ったこともないのに、なんでか友達のような気がしているのは、たぶん間違っていないと思います。

*1:昔の拙文ですが、飴玉の唄 解釈 - Torch Songs