音符という記号、ミクとBUMP OF CHICKEN

BUMP OF CHICKEN×初音ミクによる“ray”のデュエット・バージョンが完成 (2014/03/12) 邦楽ニュース|音楽情報サイトrockinon.com(ロッキング・オン ドットコム)

初音ミクに対しては、歌を再現するということにおいて、とても忠実で誠実であり、その事にすごく共感できるところがありました。是非、聴いて欲しいな、と思います。

rayで、初音ミクとのデュエットするという話を聞いたとき、それなりに驚きつつも、理念についてはとても納得できました。「自分がボカロPだったら、初音ミクにイノセントとかvoyagerを歌わせてニコニコ動画にうpしたい!」、とか思ってたくらいなので笑

誰の声か どうでもいい 言葉と音符があるだけ 君の側に
ただ力になれるように 愛されなくとも 君の側に
君がどんな人でもいい 感情と心臟があるなら
いつか力になれるように 万全を期して
唄は側に 君の側に 君の側に
(イノセント)

電子的なサウンドアプローチがふんだんになされている「イノセント」。内省的な歌詞もボカロ曲っぽいです*1。「誰の声か どうでもいい 言葉と音符があるだけ 君の側に」というフレーズには、特に説明は要らないでしょう。rayでミクを調声したkz氏と双璧をなすボカロPのryo氏の代表曲、ODDS&ENDではミクが「ならあたしの声を使えばいいよ 人によっては理解不能で なんて耳障り ひどい声だって言われるけど」と歌わせているように、ネガティブイメージを少なからず抱える初音ミクが「愛されなくとも 君の側に」という一節を歌うと言うのもぴったりはまります。「感情と心臟のない」、純粋な音符としての初音ミクが「君がどんな人でもいい 感情と心臟があるなら」と歌ったとしたら、ひょっとすると本家よりも強いメッセージ性を帯びるかもしれないとすら思います。

僕らはずっと呼び合って音符という記号になった
(三ツ星カルテット)

本来はバンドメンバー同士の関係性を歌ったフレーズですが、いっそこの曲のデュエットもアリなんじゃないでしょうか。

ズット 通リ過ギル星ノ 数を数エテ 飛ンデキタ ソノ度覚エタ 音ヲ繋ギ メロディ一ヲ送ル
(flyby)

flyby・boyagerでは、出会いと別れを糧に歌を発信しつづける孤独な宇宙船に自らを喩えています。カタカナ表記含め、初音ミクの発想と合致してます。トラック面でも、アコースティックギターの弦を別録りしてからそれをアルペジオに再構築するという、極めてボーカロイド的な作業をしています。偶然の一致ではなく、「音符をつなぐ」という根底の理念的な部分でボーカロイドと共通する部分があったからこその表現手法の相似だったと見るべきです。

で、rayです。

時々熱が出るよ 時間があるとき眠るよ

「踵すり減らしたんだ」「悲しい光が僕の影を前に長く伸ばしてる」など、身体的、物質的なフレーズがバンプのこれまでのディスコグラフィーの中でも特段に目立つ曲です。生身の体を持たない初音ミクにこの曲を歌わせたのは、「痛み」や「悲しみ」を個人の身体性から離れて普遍的なものとして響かせたいという意図からでしょうし、「誰の声か どうでもいい 言葉と音符があるだけ」(イノセント)という精神性が端的に発露したのでしょう。無機質なミクボイスが、アイロニカルに身体性を喚起するという効果も果たしています。デュエット形式であるのも、バンプオブチキンにおける藤原央の声が、初音ミクと同列に、ただの声として認知されることを願ったゆえの形式でしょう。


また、これはBUMPサイドが意図しているかどうかわかりませんが、初音ミクの歴史を参照することで、BUMPがミクに「ray」を歌ってもらったことのシーンにおける意義が浮かび上がります。
http://vocalofree.com/history/vocaloid_dtm/

10月以降、普通の(曲中の「私」をVOCALOIDと規定しない)オリジナル曲が投稿されるようになる。人間に歌わせられない内容やメロディでもVOCALIDならOKということに気付いた人々がオリジナル曲を歌わせはじめ、中にはクリプトンが権利者削除するようなキケンな曲も現れた。それでも全体的にはカバー曲と混在するような状況が続いていたが、均衡がオリジナル曲に一気に傾いたのが12月である。
12月7日、後にクリエイター集団supercellの中心人物となるryoが、初音ミクをボーカルにした『メルト』という曲を投稿。当初はそこそこの伸びだったのだが、数日後の中旬に初音ミク用に作られたこの曲を人間が「歌ってみた」動画が大量に出現し、当時の総合マイリスト登録ランキングで原曲と「歌ってみた」動画が1位から4位を占め、「メルトショック」を引き起こす。

通説では、前述のryo氏が作曲したこの「メルト」を端緒に、初音ミクが普通のポップソングを通じて人間の感情を代弁する存在になった、とされています。
D

メルト 溶けてしまいそう  好きだなんて 絶対にいえない…

恋をして「溶けてしまいそう」なほど火照る少女の身体がサビで歌い上げられます。恋する人間の身体性をテーマにした曲が、身体を持たない初音ミクに歌われ、多くの人間の「歌ってみた」を通じて再び多くの聴衆に広まっていった、という経緯は実にドラマチックです。
この「メルト」、身体性に加えて「物語性」も非常に特徴的でした。今やニコニコ動画にアップされるボーカロイド曲には、物語性のある歌詞やその理解を助ける動画がセットでつくのが当たり前になっています*2。性急な16ビートを基調に、Aメロ、Bメロで情景描写や物語説明を詰め込み、サビで爆発させるという曲構成にBUMP OF CHICKENの楽曲を彷彿とさせます。

天気予報が ウソをついた
土砂降りの雨が降る

発表から半年後にはこんなマッシュアップも登場します。
D
「ボカロカルチャーにはバンプオブチキンのエッセンスがふんだんに取り入れられている」。バンプファンにはおなじみ、音楽評論家の鹿野淳氏も指摘、個人的にちょっとそれは短絡化しすぎじゃないか、と思うところもありますが*3、現在の潮流を作った「メルト」にバンプの特徴が一部似通うところがあったのは事実です。
そこからおよそ6年して、本家のバンプオブチキン初音ミクとともに歌う曲は、具体的な物語描写は少なく、平凡で生きづらい日常が物語の舞台。千本の桜やライトノベルにありがちな学園生活、猫や海賊は登場しません。ボーカロイド=歌い手として藤原基央への自己言及はなく、身体性が叙情的に歌い上げられていきます。ビートも疾走感あふれるものではなく4つ打ちのダンスビート。PVも、物語性の強調ではなく、本人たちが演奏するのみ。ボカロ曲の王道からは逸れつつも、ボーカロイドの本質が際立つようなアプローチを取っています。脱物語、脱疾走感、身体性の喚起。バンプによる初音ミクの/による表現が、どのように評価されるか、非常に楽しみです。


追記:
(2ページ目)BUMP、冨田勲、渋谷慶一郎……初音ミクと大物アーティストがコラボする意義とは? - Real Sound|リアルサウンド

また、近年では初音ミクのファン層が低年齢化し、リスナーは女子中高生や小学生にまで裾野が広がっている。そういった人たちの中には、今回のコラボがBUMP OF CHICKENというバンドに触れる初めてのきっかけになる人も多いはずだ。これを機会に、バンドの持つ思春期性が新しいリスナー層に改めて大きな魅力となって伝わることも予想される。

指摘のとおり、PRとしても、とても面白い手法だとは思います。
一方で、ならばなぜニコニコ動画にオフィシャル動画をアップロードしていないのか、非常に疑問です。低年齢層へのミク人気はニコニコ動画抜きには成り立たないものですから。権利関係とかがその理由なら、しょうがないし、つまらんなぁと思いますが、表現に関するなんらかの意図があるとすれば、本人たちに聞きたいし、メディアにはそれを突っ込んでいっていただきたい.

*1:BUMPっぽい内省的な歌詞が、ボカロ曲に多い、というのが本義かもしれませんが

*2:ニコニコ動画以前に、2ちゃんねるから派生してきたFLASH動画が流行した時期がありましたが、当時、Kやダンデライオン、ラフメイカーやリリィなどなど、さまざまなBUMPの曲が二次創作に使われ、好評を博していました

*3:動画付きで歌を展開することができるということ、そこで活きる楽曲の形式がたまたま似通ったところが大きいのではないか