[雑記]BUMPの曲から10曲選んで趣味を晒す

twitterでやりましたので、こちらにも掲載。
ざ〜っと30曲くらいに絞って、そのあと「これだけは外せない」ってのを選んだら9曲に。1曲(beautiful gliderっす)足して、このラインナップ。そんなに悩まなかったな。
この中だと、トーチ、ディアマン、66号線、beautiful glider、ひとりごとは一切記事で話したりしてませんね。おもえば少し変な話です。いつかまた、言葉になれば。

とてもずるくて

僕が中学2年生のとき、林間学校のクラス標語を決めるHRでの出来事。

席順の班で何か一案ずつ出して多数決で決める、そんな流れだった。黒板を埋めるソツのない標語。そんな中、ある班の代表の、女子の中でもリーダー格の女の子が黒板に文字を書き始めると、なんとなく色めき立った雰囲気になった。

「腕筋(うできん)鍛えて思い出掴むべ」

若干誤りがあるかもしれないけれど、「腕筋」と書かせて「うできん」と読ませるということと、「思い出を掴む」みたいなニュアンスが入ってたのは確か。
各班で、ニヤニヤしている「1軍」(クラスの女子たちは3つのグループに分かれており、バスケ部とかテニス部とかの子が多い一番賑やかで発言力のあるグループを、僕ら男子はそう呼んでいた)の女子たち。給食終わりの休み時間に、頭を付き合わせて騒いでいたのは、これか。

当時、「思い出を掴む」という言葉に違和感、というより嫌悪感を抱いたのを今でもよく覚えている。

「思い出って、体験したことの中で、なんか奇跡的っていうか、そうじゃなくても忘れられないこととかが、自然に残っていったもののことをいうんじゃないの。思い出を作るとか掴むとかって、それが思い出になるとわかって、思い出にすると決めて、行動を起こすってことでしょ。それって、ずるくない。そうやって掴んだ思い出って、なんか汚れてない」

隣に座ってた別の1軍女子に、そんな感じでいちゃもんつけたりもしたっけ。この子はのちに一緒に生徒会に所属する子で、こういう感覚をわかってくれそうな子だった。というより、わかってほしかったんだろうな。多分、言いたいことはわかってくれていたと思うけど、それだけに、傷つけてたりもしたかも。

やはり、1軍の発言力は強い。女子、みんなそこに手を挙げていた。そもそも、割と気の利いた案がこれくらいしかなかった、ってのもあったんだけど。結局、標語は腕筋なんちゃらに決定した。

んで、彼女たちの中で、黒板に文字を書きにいった例のリーダー的存在の子がクラスのバスケ部の野郎に告った。それを聞いた時、めちゃくちゃ納得がいったよね。そして、ひどい別れ方をした。というか別れた後ひどかったんだっけな。そのへんは忘れた。今なにやってんのかな。

今大人になって、そして「記念撮影」を聴いて思うのは、彼女は「とても楽しくて」そして「ずるくて」、そして愚かでもあった。でも、決してそれだけの存在ではなかったということ。少なくとも当時の僕よりは、直観し行動に移した。大げさに言えば、危機として捉えていた。

終わる魔法の中にいたことを。


記念撮影

記念撮影

「Butterflies」を踊ろう

バンプ史上最もシンプルで踊りやすいアルバムです。


EDM的な鍵盤のフレーズが印象的なリードトラック。ファジーでマッシブなサウンドではなく、アコースティカルな響きも取り入れカントリーに接近したタイプのものです。Aviciiとかが有名ですね。もともと四つ打ち主体のダンスミュージックという点で、カントリーはEDMに親和性が高いわけです。

ドロップもなく、「歌付きのサビ」があるという安心感。むしろ90年代の小室哲哉ワークスを彷彿とさせる、日本人向けにチューニングされた誰でも親しみやすく、踊れるポップスという印象です。


今作「Butterflies」は、リード曲「Butterfly」を筆頭に、彼らのルーツの一つであるカントリーをベースにした四つ打ち主体の楽曲で構成されたアルバムとなっています。

「GO」「パレード」「孤独の合唱」「ファイター」と、11曲中の半数近くが4分音符でキックを撒いています。昨今の邦楽ダンスロックとはちょっと質感が違い、bpmがそんなに高くなく、速い曲でもオープンハイハットをシンプルに8分の裏で叩いていません。

「四つ打ちダンスミュージック」なんちゅうものは世の中にたくさんあるわけでして、例えば、これもそう。

「孤独の合唱」は明らかにこの類型でしょう。実は車輪の唄も四つ打ちです。

また、全曲4/4拍子。全前作が変拍子や5拍子の曲を大量に含んだ作品だったことを考えると、一気にシンプルになりました。「Hello,world!」はサビでシャッフルしていて、性急さと緻密さの中にもダンサンブルな要素が織り込まれています。バンプ史上最も踊りやすいアルバムになったと言えます。

なぜそうなったか。ライブで全国を回り、「自分たちの観衆と、バックビート(2、4拍目)を共有する事は困難」だという事実と向き合った結果なのだと思います。

メンバーがステージ上で裏拍のノリを呼びかけるも、客側が表でノリ続けるというのは日常茶飯事です。「Butterflies」の特典のライブ動画でも、冒頭の「パレード」でチャマが裏拍で「オイ!オイ」とコールするも、客側は終始表乗りのまま、という光景が確認できると思います。日本のロックバンドがファンを増やし、大衆化していく流れでどうしてもぶつかるバックビートの壁です。

われわれ日本人は表や四つでリズムを取るのが好きな民族です。
DEEP PURPLEの1972年の武道館公演。「smoke on the water」では、観客が四つ打ちで手拍子を始め、リッチーがリフをいったん止めて、ミュートストロークで裏打ちを指示したのは、語り草としてあまりに有名です。(でも観客は四つで手拍子を続けた)
↓7分半くらいから


※ただ、もちろん裏で取れてる国内バンドもあります。


最近アニメの主題歌にもなったアジカンの一曲。07−08のカウントダウンライブでも、12年の武道館ライブでも、誰からともなく裏に移行しています。


もちろん、8ビートを完全に捨て去ったわけでは決してなく、西海岸のロックを意識した「大我慢大会」では、スタジオ音源に裏拍のハンドクラップを入れてバックビートへの意識付けを図っています。

また、個人的に大好きな「宝石になった日」は、8ビートと四つ打ちの間に立っているような、位置付けにある曲です。1番のサビまでが四つ打ち、間奏から2番サビ前まで8ビート、で、2番サビで四つ打ちキックにバックビートでスネアが入るタイプ(バンプでいうとfireflyと一緒)のビートです。一番サビ終わった後の間奏で、自分だったらスネアに合わせてオイオイ叫びたくなるんですが、皆さんはいかがでしょうか?

バンプのライブで裏の動きが共有されづらい理由、いくつかあるんでしょうが、やはり歌詞世界の重さが大きな理由なのではないでしょうか。ビートが四つ打ちでなくても、ノリとしては四つで動かすことを意識してるのかな?という曲は前作から増えてきています。ライブでしっかりと自分たちのファンの姿を見つめ、どういうビートが彼らに一番響くのかを突き詰めた結果の産物なのだと思います。

(文:https://twitter.com/ryo_sll
https://soundcloud.com/shigeyamaryo/sets/iridictomy

音符という記号、ミクとBUMP OF CHICKEN

BUMP OF CHICKEN×初音ミクによる“ray”のデュエット・バージョンが完成 (2014/03/12) 邦楽ニュース|音楽情報サイトrockinon.com(ロッキング・オン ドットコム)

初音ミクに対しては、歌を再現するということにおいて、とても忠実で誠実であり、その事にすごく共感できるところがありました。是非、聴いて欲しいな、と思います。

rayで、初音ミクとのデュエットするという話を聞いたとき、それなりに驚きつつも、理念についてはとても納得できました。「自分がボカロPだったら、初音ミクにイノセントとかvoyagerを歌わせてニコニコ動画にうpしたい!」、とか思ってたくらいなので笑

誰の声か どうでもいい 言葉と音符があるだけ 君の側に
ただ力になれるように 愛されなくとも 君の側に
君がどんな人でもいい 感情と心臟があるなら
いつか力になれるように 万全を期して
唄は側に 君の側に 君の側に
(イノセント)

電子的なサウンドアプローチがふんだんになされている「イノセント」。内省的な歌詞もボカロ曲っぽいです*1。「誰の声か どうでもいい 言葉と音符があるだけ 君の側に」というフレーズには、特に説明は要らないでしょう。rayでミクを調声したkz氏と双璧をなすボカロPのryo氏の代表曲、ODDS&ENDではミクが「ならあたしの声を使えばいいよ 人によっては理解不能で なんて耳障り ひどい声だって言われるけど」と歌わせているように、ネガティブイメージを少なからず抱える初音ミクが「愛されなくとも 君の側に」という一節を歌うと言うのもぴったりはまります。「感情と心臟のない」、純粋な音符としての初音ミクが「君がどんな人でもいい 感情と心臟があるなら」と歌ったとしたら、ひょっとすると本家よりも強いメッセージ性を帯びるかもしれないとすら思います。

僕らはずっと呼び合って音符という記号になった
(三ツ星カルテット)

本来はバンドメンバー同士の関係性を歌ったフレーズですが、いっそこの曲のデュエットもアリなんじゃないでしょうか。

ズット 通リ過ギル星ノ 数を数エテ 飛ンデキタ ソノ度覚エタ 音ヲ繋ギ メロディ一ヲ送ル
(flyby)

flyby・boyagerでは、出会いと別れを糧に歌を発信しつづける孤独な宇宙船に自らを喩えています。カタカナ表記含め、初音ミクの発想と合致してます。トラック面でも、アコースティックギターの弦を別録りしてからそれをアルペジオに再構築するという、極めてボーカロイド的な作業をしています。偶然の一致ではなく、「音符をつなぐ」という根底の理念的な部分でボーカロイドと共通する部分があったからこその表現手法の相似だったと見るべきです。

で、rayです。

時々熱が出るよ 時間があるとき眠るよ

「踵すり減らしたんだ」「悲しい光が僕の影を前に長く伸ばしてる」など、身体的、物質的なフレーズがバンプのこれまでのディスコグラフィーの中でも特段に目立つ曲です。生身の体を持たない初音ミクにこの曲を歌わせたのは、「痛み」や「悲しみ」を個人の身体性から離れて普遍的なものとして響かせたいという意図からでしょうし、「誰の声か どうでもいい 言葉と音符があるだけ」(イノセント)という精神性が端的に発露したのでしょう。無機質なミクボイスが、アイロニカルに身体性を喚起するという効果も果たしています。デュエット形式であるのも、バンプオブチキンにおける藤原央の声が、初音ミクと同列に、ただの声として認知されることを願ったゆえの形式でしょう。


また、これはBUMPサイドが意図しているかどうかわかりませんが、初音ミクの歴史を参照することで、BUMPがミクに「ray」を歌ってもらったことのシーンにおける意義が浮かび上がります。
http://vocalofree.com/history/vocaloid_dtm/

10月以降、普通の(曲中の「私」をVOCALOIDと規定しない)オリジナル曲が投稿されるようになる。人間に歌わせられない内容やメロディでもVOCALIDならOKということに気付いた人々がオリジナル曲を歌わせはじめ、中にはクリプトンが権利者削除するようなキケンな曲も現れた。それでも全体的にはカバー曲と混在するような状況が続いていたが、均衡がオリジナル曲に一気に傾いたのが12月である。
12月7日、後にクリエイター集団supercellの中心人物となるryoが、初音ミクをボーカルにした『メルト』という曲を投稿。当初はそこそこの伸びだったのだが、数日後の中旬に初音ミク用に作られたこの曲を人間が「歌ってみた」動画が大量に出現し、当時の総合マイリスト登録ランキングで原曲と「歌ってみた」動画が1位から4位を占め、「メルトショック」を引き起こす。

通説では、前述のryo氏が作曲したこの「メルト」を端緒に、初音ミクが普通のポップソングを通じて人間の感情を代弁する存在になった、とされています。
D

メルト 溶けてしまいそう  好きだなんて 絶対にいえない…

恋をして「溶けてしまいそう」なほど火照る少女の身体がサビで歌い上げられます。恋する人間の身体性をテーマにした曲が、身体を持たない初音ミクに歌われ、多くの人間の「歌ってみた」を通じて再び多くの聴衆に広まっていった、という経緯は実にドラマチックです。
この「メルト」、身体性に加えて「物語性」も非常に特徴的でした。今やニコニコ動画にアップされるボーカロイド曲には、物語性のある歌詞やその理解を助ける動画がセットでつくのが当たり前になっています*2。性急な16ビートを基調に、Aメロ、Bメロで情景描写や物語説明を詰め込み、サビで爆発させるという曲構成にBUMP OF CHICKENの楽曲を彷彿とさせます。

天気予報が ウソをついた
土砂降りの雨が降る

発表から半年後にはこんなマッシュアップも登場します。
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「ボカロカルチャーにはバンプオブチキンのエッセンスがふんだんに取り入れられている」。バンプファンにはおなじみ、音楽評論家の鹿野淳氏も指摘、個人的にちょっとそれは短絡化しすぎじゃないか、と思うところもありますが*3、現在の潮流を作った「メルト」にバンプの特徴が一部似通うところがあったのは事実です。
そこからおよそ6年して、本家のバンプオブチキン初音ミクとともに歌う曲は、具体的な物語描写は少なく、平凡で生きづらい日常が物語の舞台。千本の桜やライトノベルにありがちな学園生活、猫や海賊は登場しません。ボーカロイド=歌い手として藤原基央への自己言及はなく、身体性が叙情的に歌い上げられていきます。ビートも疾走感あふれるものではなく4つ打ちのダンスビート。PVも、物語性の強調ではなく、本人たちが演奏するのみ。ボカロ曲の王道からは逸れつつも、ボーカロイドの本質が際立つようなアプローチを取っています。脱物語、脱疾走感、身体性の喚起。バンプによる初音ミクの/による表現が、どのように評価されるか、非常に楽しみです。


追記:
(2ページ目)BUMP、冨田勲、渋谷慶一郎……初音ミクと大物アーティストがコラボする意義とは? - Real Sound|リアルサウンド

また、近年では初音ミクのファン層が低年齢化し、リスナーは女子中高生や小学生にまで裾野が広がっている。そういった人たちの中には、今回のコラボがBUMP OF CHICKENというバンドに触れる初めてのきっかけになる人も多いはずだ。これを機会に、バンドの持つ思春期性が新しいリスナー層に改めて大きな魅力となって伝わることも予想される。

指摘のとおり、PRとしても、とても面白い手法だとは思います。
一方で、ならばなぜニコニコ動画にオフィシャル動画をアップロードしていないのか、非常に疑問です。低年齢層へのミク人気はニコニコ動画抜きには成り立たないものですから。権利関係とかがその理由なら、しょうがないし、つまらんなぁと思いますが、表現に関するなんらかの意図があるとすれば、本人たちに聞きたいし、メディアにはそれを突っ込んでいっていただきたい.

*1:BUMPっぽい内省的な歌詞が、ボカロ曲に多い、というのが本義かもしれませんが

*2:ニコニコ動画以前に、2ちゃんねるから派生してきたFLASH動画が流行した時期がありましたが、当時、Kやダンデライオン、ラフメイカーやリリィなどなど、さまざまなBUMPの曲が二次創作に使われ、好評を博していました

*3:動画付きで歌を展開することができるということ、そこで活きる楽曲の形式がたまたま似通ったところが大きいのではないか

BUMPの音楽的チャレンジ―前作『COSMONAUT』と最新作『RAY』

BUMP は「壁」を突破した――最新作『RAY』の音楽的チャレンジを分析 - Real Sound|リアルサウンド
記事をきっかけに考えてみました。『COSMONAUT』から、何を受け継いだのか、『RAY』で何を試みたのか。


昨年8月に配信限定でリリースされた「虹を待つ人」は、シンセやエレクトロ・サウンドを配して、きらびやかな曲調を実現した一曲。

そして、アルバム『RAY』のリード曲「ray」も、明らかに新境地を感じさせてくれる一曲。軽やかなリズムとエレクトロニックなアレンジは「虹を待つ人」の延長線上にあるもの。

この二文以外に、バンプの“音楽的チャレンジ”そのものに触れている部分はありませんが、原稿が発表時期と重なるので、よりコールドプレイっぽい「(please)forgive」を引き合いに出せなかったのでしょう。南部臭のする「morning glow」「white note」についてもしかり。

確かに、あからさまな電子音の導入は「Will」「虹を待つ人」「ray」が初めてですね。「firefly」イントロのファジーな低音は、ベースにファズかませてるというよりもシンセで作ってある音でしょう。「(please)forgive」でも、バックのシンセがこれまでより深く、ああコールドプレイだ、って感じです。
とはいえ、サウンド面に関して、毎回バンプバンプなりの挑戦を試みています。リビングデッドではドラマチックな転調。jupiterでは耳をつんざくようなギターの多重録音。ユグドラシルではマンドリンやブスーキなどエレキ以外の弦楽器の導入。orbital periodではシンセやストリングスの全面的な導入。COSMONAUTでは変拍子やビートフェイクによるポストロック的なバンドサウンドの構築。指摘されているようなエレクトロニカアレンジが特段革新的とは思いません。どちらかといえば“しっかり流行りのサウンドを押さえる”あるいは、最新技術を導入したり露出を拒まなかったり、ライブの演出を凝ってみたり“イメージ的”な部分での“壁”を突破したというべきかもしれません。あるいは、初音ミクとのコラボはまた別の機会に書きます。

音楽的な“挑戦”、『RAY』は解りやすく新しいことはあんまり多くありません。アルバム曲では音数を減らされていて、聴いている側としてはライブで演奏している姿をこれまで以上に連想します。同期前提で曲が作られているのはシングル曲とforgiveくらいで、あとは4人編成でやるんじゃないでしょうか。
COSMONAUTほど演奏するのがテクニック的に難しそうな曲もありません。「透明飛行船」*1「モーターサイクル」「セントエルモの灯」、この三曲がアルバムツアーで演奏されたという話を一切聞くことはありませんでした。作った曲を、実際には演奏しない。。単純に、がっかりしたファンも多かったと思います。いち音楽ファンとしても、エモ〜マスロックを髣髴とさせる譜割りやテクニカルなギターフレーズに、JPOP、ロキノンらしいコード進行とメロディーが融和するスタイルが、ステージ上で実演されなかったのはとても残念です。「モーターサイクル」のディレイとストロークの絡みとか、サビの食い方とか、いまだによくわからないですし、「セントエルモの灯」の2サビのビート感も古今東西で聞いたことが無いものでした。冷静と情熱が入り混じる感じ、冷えてるのにクッソエモな感じ、曲として大好きでしたし、これがCOSMONAUTのバンプか、と鳥肌が立ったものでした。今作では「サザンクロス」がこれらの楽曲のDNAを受け継いでいます。2番Aメロで各パートが少しややこしいのと、間奏のアンサンブルがネックですが、きっとこれなら演奏してくれるはず。「透明飛行船」「モーターサイクル」「セントエルモの灯」が演奏されないまま「サザンクロス」に行き着いてしまったというのは、エモ〜マスロック的アプローチでは挫折した部分も少なからずあったのでしょう。とはいえ、歌モノを前提に最小限のパートで、ビートを細かく変え緻密なアンサンブルを重ねながらサビの開放感までいたるこの流れ。再現可能な形の楽曲を完成させることができたというのは、jupter以降BUMPの特徴であり続けてきた「多重録音」の“壁”を破ったとも言えるでしょう。

シンプルな8ビートと見せかけて、「ラストワン」もちょくちょくリズムに変化をつけています。ギターアルペジオのやわらかいBメロをはさんだ、Aメロとサビ。コード進行とビートが似ていて曲全体の循環感を出していますが、サビ頭に、ベースもドラムもギターも歌も、全部乗っかる「ダダダダーン!」のリフが何回も入るおかげで決して単調になりません。

最初この曲を連想したんですが・・・改めて聴いてみるとあんまり似てないですね笑

全曲通して黒さが際立っているのも特徴です。「whitenote」は、一曲の中に含まれるブルスノートの数を更新したのでは。「morning glow」はサザンカントリーが基調ですが、「車輪の唄」から「分別奮闘記」にいたるまでの、どの曲よりも攻めたアレンジですね。

 一方、ここ数年では、彼らと同じようにカントリーやブルーグラスのルーツを持ち、それを新たなセンスで現代に蘇らせた音楽性のバンドが世界的なブレイクを果たしている。イギリス・ロンドン出身の4人組、マムフォード・アンド・サンズだ。

Mumford & Sonsって、どっちかといえば、少しビート強調したくらいの"ど"カントリーだと個人的には思っていて、「morning glow」にだけ絞って言うなら、日本の多くの音楽がそうであるように、本国のカントリーリバイバルよりも面白いことをやってます。2拍省略してからビートを変えて、サビになだれ込んでいく感覚はエキサイティングですし、サビのメロともあいまってサビ全体が変拍子っぽく聞こえるのも技ありです。サザンロックなCメロから、間奏ではちょっと変わった変拍子*2と(部分)転調の合わせ技が続きます。エモとカントリーの接近というと、get up kidsとかyellowcardなど、枚挙に暇がありませんが、beautiful gliderなど、前作の流れからいくとOwenに近しいものを感じます。

ただ、やっぱりこれらともちょっと違う、日本っぽさがあります。日本のロックバンド・バンプオブチキンの存在感を存分に堪能できます。


最後のヘイヘイヘイバーイバーイ♪の部分からも、南部の香り。

 ざっくりと「ギターロック」や「ロキノン系」という言葉で括られがちなBUMP OF CHICKENの音楽性なのだが、実はカントリーやブルーグラスが重要な位置を占めているのである。その後、音楽性を進化させ、成熟させていくにあたっても、トラディショナルであるということは、一つのキーになっている。

実は「morning glow」の大まかな形は10年前にGRAPEVINEがやってたりします。
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バインに限らず90年代にはサザン系のバンドが割と出てきてたみたいなんですが、いまほとんど見ませんよね。さっきチラッとエモを引き合いに出しましたが、sunnyday real estateとかmineralなんかのエモ勢、マイブラダイナソーらへんのシューゲ勢が下北沢系にに流入して、サザンハーモニーは飲み込まれちゃったのではないかなと推測します。

「トーチ」「(please)forgive」では、珍しくギターに揺れエフェクトが強くかかってましたね。いい意味で“普通”のバンドっぽいアプローチになっているなと思います。

とまあだらだらと、音楽的な変化で思うところを述べました。
「サザンクロス」に落とし込んだ前作『COSMONAUT』のエモ〜マスロックラインの挫折、4人で鳴らすバンドサウンドへの執着。「morning glow」に込められたルーツミュージックへの敬意ととこれまでのバンドの足跡。この2点がトラック面では印象に残っています。

*1:ポテトさまからのコメントでの指摘を元に調べましたところ、透明飛行船はライブツアーで演奏されていました。誤った記述を削除いたします。

*2:33433|33334|33||33334|333333$|33で合ってますかね・・・?ぶっちゃけ謎過ぎる

「BUMPの壁」とはなんだったのか

BUMP は「壁」を突破した――最新作『RAY』の音楽的チャレンジを分析 - Real Sound|リアルサウンド

BUMPの壁が、具体的になんだったのか、明確にわかりませんねぇ・・・。
−音楽性を分析―とあおっておいて、音楽性にはほとんど触れてないですし。
ただ、かろうじてエレクトロ化が変化だったという主張は読み取れます。

RAY所感レビュー

BUMP OF CHICKENの7thアルバム、RAYが発売されました。
一歩踏み出すためにバンプを聴く、あるいはバンプの歌詞を思い出す。
そんなファンは多いと思います。
近作もそんな背中を押してくれる曲が満載でした。
もちろん、ちょっとこれまでのアルバムとは違います。
2nd「リビングデッド」のように、向こう見ずでひたむきな登場人物に勇気をもらうでもない。
4th「ユグドラシル」のように、透徹した哲学がむき出しになっているわけでもない。
アルバムを通じて、自分の弱さ、情けなさ、世界のどうしようもなさがもっとも描かれている。
そこに加わる、大切な存在の不在(あるいはその予感)。
5th「orbital period」の締めくくりでは“探さなきゃね 君の「涙のふるさと」”と歌われます。
呼びかけを受けてか、6th「COSMONAUT」では、実直なほどに過去を追憶する曲が多かった。
【追憶の中の彼らに、胸を脹れる様、孤独でも、生きなきゃ】
7th「RAY」からは、そんなメッセージを受けました。
BUMP OF CHICKENにとっても新しい第一歩を踏み出したアルバムなのではないかと思います。