例のおじさん

THE LIVING DEAD
今日の話題はこの人です。確かな名前もないその人。
写真のアルバム「living dead」では「opening」と「ending」に出演しています。

お訪ねします/この辺りでついさっき
涙の落ちる音が/聴こえた気がして
駆けつけたんだけど/誰の涙かな
(opening)

そして彼はこんなところにも居ます。
ダイヤモンドのカップリング「ラフメイカー」、laugh maker、として

涙で濡れた部屋に ノックの音が転がった
誰にも会えない顔なのに もう なんだよ どちら様?
「名乗る程 たいした名じゃないが 誰かがこう呼ぶ“ラフ・メイカー”
(ラフメイカー)

openingの内容と比べると、この冒頭部分同士で実は同じ人物を示していると考えられます。endingの途中でちょっといじけてしまったり、ラフメイカーでは彼自身が泣き出してしまったりする所も似てますね(笑)

誰かの為に生きるという 思いを込めた旗を抱き
拾って来た笑顔の中に 自分の笑顔だけ見当たらない
いつか聞こえた泣き声を ずっと探してきたんだね
少し時間がかかっただけ 自分の声だと気付くまで
(fire sign

ユグドラシル収録の「firesign」の一節です。リリースされた時から話題になっていたことなんですが、この一節に出てくるこの人も「ラフ・メイカー」ではないでしょうか。
「opening」,「ending」,「ラフメイカー」という楽曲はわりと初期のものだったので、「firesign」を聴いたときはある種の感動というか衝撃がありました。
『ああ、あの人がそんな事思っていたなんて…。思いもよらなかったけど、だからあんなにいじけていたのかもな…。』

今でもしっかり俺を笑わせるつもりかラフメイカ
「それだけが生き甲斐なんだ」
(ラフメイカー)

大丈夫!君はまだ君自身を ちゃんと見てあげてないだけ
そりゃ僕だってねえ、、そりゃ僕だってねえ、、、そりゃ僕だってねえ、、、、
(ending)

そのやさしい彼も、結局は自分が寂しくて寂しくてしょうがなかっただけなのかもしれません。
とりあえず、この3曲を比べてみると、彼の愛すべきキャラクターが浮かび上がってくると思います。
また、

延べられた手を守ったその時に 守りたかったのは自分かもしれない
(supernova)

という、「supernova」のこの部分とも通ずる所があるのではないでしょうか。
神の愛、アガペーのようなものではなく、自己の不安から来る愛なのかもしれない、孤独を紛らわすための行為なのかも知れない、所詮自己満足なのかもしれない…。それでも僕は、そんな彼がいとおしいです。これに関連して、過去に書いた「embrace」についてのログでも、その二立側反のエゴについて述べてあります。
http://d.hatena.ne.jp/rslog/20041224

どんどん蛇足になりそうなのでここらで止めたいのですが、最後に。

ここまで彼を突き動かすものとは何なのでしょうか?
その答えの1つとして「カルマ」にそれがあるような気がしています。
罪への無意識の贖罪―
他者を犠牲にして生きる中に、だからこそそれに対してのフィードバックとして、ラフ・メイカーとその行為が存在したのではないでしょうか。この「カルマ」というテーマ、以前に述べた「salingdayの危険性」を裏付けるものと成り得るのではないでしょうか。
http://d.hatena.ne.jp/rslog/20050418