夢の先

夢は叶えると日常になってしまう、とはこのあいだの白線流しで非常に印象に残る台詞でありました。まさにその通りで、バンプオブチキンの楽曲にも非常によく言われている部分であると思います。
ここで「ノーヒットノーラン」と「ギルド」です。
ノーヒットノーランの主人公は次第に『スラッガー』という役目〜「仕事」を負わされて(負って)ゆきます。ここで、

ノーヒットノーラン/このままじゃ認められない/
そんな僕は/存在しちゃいけない

というフレーズがありますが、失敗しないことによって現状を維持するというのは実に厳しいことです。成功が当たり前となり、最初は一本のヒット、HRを一つの夢としていくうちにそれが日常になっている状況。。
この作品は、最後の打席に立って、その後どうなったのかは触れられていません。

あくまで可能性の一つとして、「そんな僕」になってしまい、「存在しちゃいけない」存在になってしまった先が「ギルド」だとも考えられます。
ノーヒットノーラン」の時(自分も含む、誰かに)「与えられ」精一杯胸を張って演じたスラッガーとしての人格はもはや表に出ることが無く、「クビになって」しまっている状態。
中盤で

思い出したんだ/色んな事を/
向き合えるかな/沢山の眩しさと

というフレーズが入りますが、思い出したのは忘れかけていた「ノーヒットノーラン」の時の自分、沢山の眩しさは「白いライト」と捕らえることが出来そうです。
思えば、スラッガーの座も誰かから奪ったものと言える訳で、そこで光を浴びたとはカルマとも通ずる所がありそうです。
そして、

愛されたくて吠えて/愛されることに怯えて

というのは、

誰かにそれを知って欲しいから/任せろって胸を叩く

と通ずる部分があるように思えます。胸を叩いただけでは、何も分からないのです。正直このフレーズ自体難解で非常に分かり辛いフレーズです。結局、思っていることを口には出来ない状態ですね。カーブのような愚痴、消える魔球のようなやさしさと言いましょうか。。
分かって貰えないのは隠しているから。でも知られてしまったら、僕は本当に強いスラッガーとは言えなくなってしまう、だから弱い自分を捨てていこう…。という展開も可能ですね。

最後に。

演じて背伸びしようとするのも、自分自身がそうしたいから、そうなりたいから。世間体を守りたいのだって、自分自身。「その姿」ってそういう意思も含まれているんだと思います。
成功体験の積み重ね、そして自分を形成していく。僕しか見えない僕を、どんどんかたちにしていく。そして、本当の意味で僕しか知らない僕に出会う。。自分と向き合うって、色んなことに挑戦することだと思います。