しとやかな獣×ロビンソン×K

今回のはちょっと読むのに抵抗のある方もいらっしゃると思いますが・・。

アスファルト/歩道に捨てられた子猫の/あの死骸を見てたら/
似ている気がして/何故だか涙が零れて
ART-SCHOOL/しとやかな獣)

片隅に捨てられて/呼吸を止めない猫も/
どこか似ている/抱き上げて/無理やりに頬寄せるよ
スピッツ/ロビンソン)

そんな猫を抱き上げる/若い絵描きの腕
「今晩は素敵なおチビさん/僕らよく似てる」
どれだけ逃げたって変わり者は付いてきた
BUMP OF CHICKEN/K)

部分的にではありますが、3者の猫に対する見方、個性が出ているように思えます。
ARTは明らかにスピッツ好きと公言しておりリスペクトで微妙に引用した可能性もありますし、BUMPも1stの雰囲気は全体的にどこと無くスピッツの様な節を感じるので、影響を少なからず受けているとも考えられそうです。
しかし、3者とも猫と自分を重ね合わせたところまでは一緒ですが、感じ方やその後の行動が異なっていたり、とても近かったり…。

死骸に頬寄せるなんてありえないので、ここで積極性がどうのとかは語れませんがアートは今回もセンチメンタルです。。

やっぱりARTを引き合いに出したのは蛇足だったかも…。ロビンソンとKの共通の仕方が興味深いです。
ロビンソンは言わば抱きしめる側の視点から描かれているのに対し、Kは第三者、あるいは猫の視点が中心となっています。ここで2つの曲を重ね合わせて聴くと面白いです(特にKを聴いているときにロビンソンを思い出すと、よいです。)。
「呼吸を止めない」という部分も夢の飼い主やギルド、グロリアスレボリューション、睡眠時間、supernovaでの、「呼吸」の使われ方と似ている感じがします。
また、猫の話題ではなくなりますが、

うす汚れてるぎりぎりの/三日月も僕を見てた
まちぶせた夢のほとり/驚いた君の瞳

という部分があり、ここはくだらない唄とだぶりますね。
夢のほとり=夢と現実の境目、とするならば実にくだらない唄と似ています。ロビンソンの「僕」はくだらない唄の「君」だったとすれば、『くるはずないよわかってた』という切ないラストに対して、こちらは来ないと思っていた(予想もしていなかった)ら待ち伏せていたというラストです。表面から見れは正反対ですが、そういうラストもありうる、と「くだらない唄」を拡張させてくれます。

スピッツバンプはこれまた非常に近いものを感じます。それについていずれまたの機会に。