sign×supernova

最近ミスチルすげえいいなぁと改めて思い、かなり聴いてまして。signとか、あっれ、ここまでいい曲だったっけか!!?とか思いまして。
それで本題に入りますと、ふとsignって凄くBUMPと近い匂いを感じまして。まあBUMPの理論、視点、哲学でsignという曲を読んでみるとsignがより調和の有る作品に見えるという事ですね。signの歌詞を横に置いて、それでは部分的にピックアップしつつ参りましょう。
http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=B06749signの歌詞

「ありがとう」と「ごめんね」を繰り返して僕ら
人恋しさを積み木みたいに乗せてゆく
    ・・・・
たまに無頓着な言葉で汚し合って
互いの未熟さに嫌気がさす

という所は、本当のありがとうはありがとうじゃ足りないんだ、人の気持ちって1言2言じゃ伝わり辛い、むしろ傷付け合う事だってある、というsupernova的な要素を凄く感じるし、「汚しあって」って言う部分は互いのカルマを指摘しあうという(ry
「ありふれた時間が愛しく思えたらそれは愛の仕業」ともありますが、ここもsupernovaとかにこういう感情が凄くあって、盛り上がりの所で「時の美しさと残酷さを知る」「残された時間」って言っていて、愛しく思えたのは「終わり」という物の存在を気付きはじめたから。。。と詞を結んであげればここもsupernova的な、大切な物には終わりがある、みたいな事とほぼ同義として扱えるんじゃないかと思います。

体でも心でもなく 愛している

って言うのはつまり、「君の『存在』」を愛していると、抱きしめていると、そういう意訳も可能じゃないでしょうか。

そして「僅かだって明かりが心に灯るなら大切にしなきゃ」という、ここも凄くsupernova的でありながら、ちょっとfiresign(「微かでも見えなくても命の灯が燃えてる」)であったりランプ(「今にもマッチは芯に触れる」)、その他諸々。でもあったり。明かりが灯った以上はいつかは消えてしまうから大切にしなければならないという。「似てるけどどこか違う だけど同じ匂い」はちょっとエンブレイスを感じるし、もっと言えばカルマも感じない事も無いです。まあこの辺は自己への意味合いの強い楽曲ですが、signがそういう楽曲だとも捉えられないことも無いと思います。

めぐり逢ったすべてのものから送られるサイン
もう 何ひとつ見逃さない そうやって暮らしてゆこう

「キャッチボール」とか「ノーヒットノーラン」の胸を張ってるスラッガーのラストシーンを思い出しつつ、ここも概訳してしまうと「supernova」に近い感じを受けます。終わりを意識するからこそ、1秒1秒の瞬間を見逃さず胸に刻みつけていこうという、そういうポジとネガの両立で。(カルマもちょっと思い出しますね)

signだけ見て、ミスチルとBUMPに結構デカめの共通項があるなと感じたんですが、とかく今回のアルバムは聴けば聴くほどBUMPと似てる部分多いなーと思えてきました、個人的には。(DOORとか未来とかand I love youとか…。)
今までそういう視点で見て来なかったので過去の作品にもそういう曲一杯ありそうだなとも思っています。

http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=B06749signの歌詞