スーパーノヴァの「ラララ」

多分この曲を聴いた人は少なからずサビ(一応便宜上)の部分で引っかかる所があるのではないでしょうか。果たしてあの「ラララ」にどんな意味が込められているのか。
そこの部分っていうのは、言葉では表現できない、あるいは言葉で表現しようとすると蛇足になってしまうから言葉が乗らなかったんじゃないかとまず思いました。だから、どんな意味、って言っても文字というツールしか持たない僕達にはそれを表現することっていうのはかなり難しいんじゃないかと思いますねぇ…。それが、「言葉を乗せなかった」意味じゃないかと思ってます。文章(詞)を言葉で分析して表現するのは比較的楽ですが、微妙な感情を言葉だけで表現するっていうのはある程度の練習と素質が要る訳で。多分、求めずとも意味は皆さん何となくそれぞれの中で解釈して色々思ってるんでしょうけど、表現することが難しいなあと思ってるんじゃないかと。

…といいながら全く逆の展開でこんなことを言いますが、言ってしまえば『ラララ』というのも言葉の一つです。『ラララ』という『言葉』の元来持つ優しさ・温かみ・ポピュラリティが利用されているのではないでしょうか。まあだから、誤解を恐れずに言えば、緻密な構成とかで成り立つ文章とか物語的な詞に比べて、表層的なものではあると思います。
だから逆にこれまでその「言葉」という部分で、邦楽界で、賛否はありますが注目はされていたバンプがそれを乗せないという選択をしたことは、言葉を乗せる事と同様、あるいはそれ以上に重要な意味を持っているとは思います。まあ先に言っておけば藤原さん自身は「メロ・オケだけでボロ泣き出来る曲を目指している」みたいなことを言っていたわけであって、これで「バンプは変わった」というのとは違うと思っています。
「ラララ」というのは言葉であって言葉ではないということです。1つが表層的なもの、感性・感情を表す言葉、もう一つが構成や思想を組み立てるときに使う言葉。(言葉について、こういう区切り方も出来るんじゃないかと言うことで受け取っていただければ幸いです)supernovaの「ラララ」は完璧に前者ですね。前者の例として、詩だったり、あとはラルクの「New world」を挙げたい。あの詞って言うのは、とにかく前向きな言葉を何となく繋げてできた詞だと聞いています(注:中傷ではないです、ラルクが結構好きなんで挙げましたw)。後者は、論説文とか小説とか哲学書だとかの言葉でしょうか。あとはラップとかに多いのかな?とも勝手に思っています。
「ラララ」は言葉ではなく言葉で伝え切れなかった感情を伝えるためのものだ、といわれる方が居るかもしれません。ただ、結果としての作品を見てみれば、使わざるのを得なかったのはどこまでいっても「言葉」だったのではなかろうかと突っ込みたいわけです。
例えば、「ラララ」が「チュンチュンチュン」だったり「ペペペ」「スーンスーンスーン」とかだったら、supernovaって言う曲は全く別の曲になってると思いますし(それをそれで成り立たせる事も可能かもしれませんが)、だからあそこに「ラララ」という発音の「言葉」が来るのは必然だったんじゃないかと思います。「ラララ」が歌詞であるかどうかはかなり微妙かも知れませんが、そこが「ラララ」であること自体には意味があるんじゃないかと思います。
あとは、一応「ラララ」と歌詞カードには表記されていますね。
その…論理より感情を優先してった結果、「ラララ」という言葉が使われた、という感じですね。普通の言葉を乗せたほうが感情が入りやすい事もよくある、っていうかそれが普通の歌な訳ですが、supernovaのこの部分で伝えたかった事について「ラララ」以外の言葉では適切でないと藤原さんが何らかの形で判断したから「ラララ」という言葉が乗ったんではないでしょうか。