正夢と乗車権

スーベニアかなり良かったです。というか、スピッツって良いな。よし、取り合えずリサイクルも聴こう。

正夢に特に感銘をうけました。というか、正夢っててっきり恋愛の歌かと思ったら、そうじゃなかったっぽいですね。君=女、にしてしまういけないあれでした。「君」ってアレ、「夢」なんだね、と、そう思った。まあ恋愛の歌でも当然意味はとれるけどね。「寝て見る夢」と「起きて見る夢」で成る微妙なタペストリーがこの詞だと個人的には思っています。

最近ようやく気付いたんですが、「夢」を歌った唄ってたくさんあっても、それぞれ違った「夢」側面が描かれている、と。ホントにようやく。それは捉え方の違いでもあるし、作者の「夢」という言葉の定義であったり。愛とかそういう抽象的なテーマもそうで、今まであまりそういう普遍的というか、ありきたりな詞がそこまで好きでなかったんですが、ありきたりなんて有り得ないって最近は思います。

こないだpillowsでGOOD DREAMSという、まあタイトルまんまのアルバムを購入したんですが(9/11に夢という単語が入っている…)、その中で、アルバムの表題曲でもある「GOOD DREAMS」っていう曲と、この「正夢」ではやっぱり全然違いますし。あくまで個人的な感覚ですが、正夢で表現されている「夢」ってのはちょっとユルい感じで、浅いプールでじゃれるような。そしてグッドリの方はそれよりちょっとハードな。

降り注いだ強い光。

詞全体を見ても、曲を聴いても、歌唱法を考えても、曲にとっての「夢」の定義の違いがわかる気がしました。

そういった意味では、夢について語らせたら多分敵は居ないと思われるBUMPの楽曲に於ける「夢」の位置付けは、正直、大衆的であるとは言い難いでしょう。というか彼の思想自体、「夢は寝て見るもんだ」ということだから無理もないと。いや、至極当然だ。多分、彼が「起きて見る夢」について一番直球で率直な考えを示しているのが「乗車権」なんじゃないかなぁ。で、まあ「夢の飼い主」とかでは「起きて見る夢」についてのフォローもしてあると。

で、こう考えてみると「正夢」と「乗車権」って全く対極にあるんですよね。詞もサウンドも。というか「乗車権」は「正夢」のような楽曲を否定しかねないアイデンティティを持ち合わせてる可能性もあるわけで。マサムネさんにとって夢は「キラキラ」してる物かもしれないけれど、藤原さんにとっては「ギラギラ」であるという。。。多分乗車券の世界ならば、十中八九正夢の主人公は「ああちょっと待ってくれ、ああ見逃してくれ」とか言うのでしょう。

それでも最終的にほとんどの人にとって夢は「キラキラ」しているものでしょう。だから、大衆的な共感を得るのはこの両者であれば間違いなく「正夢」だろうと思いますし。乗車権の「甘い夢なんて見んな」というメッセージに素直にに共感を覚えるって言うのは、あなた相当頑張ってる人だと思う。あなたは自分をそう感じないかもしれないけど、傍から見たら、そう感じるます。

とすれば乗車券は相当現実的な唄で(けしてそこにロマンを感じてはならない。「ギラギラ」にたどりつくには茨の道だが、それがカッコいいとか感じてしまうのは流石に不誠実に思う。人がどう感じようと自由だが、個人的にはそう思う。)。
ここまできましたが、それでもどちらの歌の両方とも素晴らしいと思います。正夢のために、これから彼は血のにじむような努力をするかもしれない。そして、「ギラギラ」でなく純粋な「キラキラ」を手にすることも十分考えられる。というかそういうこと抜きに、実際頑張ってる時はこういう歌の方が励まされたりするでしょう。

乗車権の主人公も、止まらないバスの中でまた新しい日常を見つけるかも知れない。そういう解釈もできる。不本意であったにせよ、それが人生だ。あそこで物語をとりあえずは完結させている所が素晴らしい。というか人生で一回や二回はそんなことあるだろう。妊娠とか。他にもたくさん可能性はある。


まあ、人の夢が数え切れないほどあるように、夢の歌もたくさんあるという事で。