動物×人間、その境界

ユグドラシル以前と以降で、BUMPの作品に於ける「動物」の描写が変わったようだ。

ユグドラシル前までに多く見られるのが、動物をいわゆる動物のまま描いた作品で、「K」とか「ダンデライオン」とか「ガラスのブルース」なんかがそうだ。

結局、動物と人間って違う生き物なんだろうか。ユグドラシル〜夢の飼い主ではそういうことを考えさせられる曲が多いように思う。そーだよな、心臓動いてりゃ動物だし、けど人間って言いきれんのかな?でも人間はやっぱり人間だし。。。

まあわりと皆考えることと思うけれど、このユグドラシルという作品が、それ以前の、過去ののバンプオブチキンの楽曲に新しい奥行きを与えることが出来た事は、必然的であると同時にだからこそグレートな事だと思う。




伏線が引かれてあった。それは意図的でなく自然にあり、の状態で在った。BUMPの曲に動物の曲が多かったのは、結局ユグドラシルみたいな感覚があったからなんだと思う。ガラスのブルースやKが、表現の上では第三人者でであり、太陽やエンブレイスその他が一人者であるのに、何故か本当の意味で第三者的視点で捉えられた末に製作されたのはユグドラシルなのだと思う。

しかしながらそこには一貫性があり、そこがグレートだ。感覚を掬い上げる感じ、それは常に嘘の自分を掬い上げていないからこそ出来た事だと思う。