言葉が生まれた時〜夢の飼い主〜

流行語、というのがありますが、おっはー然り、チョベリバ然り、あれはホント流行というものであって、生まれた、とはちょっと言えない様なそういう存在のものが多いような気がします。

ですが、最近思ったのが

「萌え」

と言う言葉。

多分この言葉は生き続ける気がする。ていうかまあ一般人それも高校生風情が言うのもあれですが、これ、表現として素晴らしいと思います。

萌え。もえ、もえ、もえ。

そう、まさに「萌え」は「萌え」でしかない。好きとかかわいいとかみたく、それ以上表現できない感覚。萌えを理解できない人が居るかもしれないけれど、それは違う。萌えというのはきっと誰にも備わっている感情で、それをある人は「トキメキ」とか「胸が苦しくなる」とか表現しているだけなのではないでしょうか。

しかしながら、「萌え」。「萌え」という言葉が無ければ僕は本当の意味で萌えを感じる事が出来なかったでしょう。愛する人と、この言葉が居てくれて(生まれていてくれて)初めて「萌え」を体感することが出来た。そういう意味で、より一層「萌え」と言う言葉の誕生は必要かつ必然だったのだと思います。

萌え。素晴らしい言葉だ。漢字もイントネーションも、全てに於いてバランスが取れている。「萌え」という気持ちを表現するために生まれた言葉、それが萌え。

書いてて気が付きましたが、BUMP OF CHICKENの夢の飼い主。あれに出てくる「僕」を「萌えの感情」に置き換えて読んでみてください(前編通してですよ)。僕が言いたいことはまさにそれのような気がします。

彼女はやっとそれに気付いて名前を付けた

流石BUMP、物事の普遍性を巧妙に描き出している。しかしながら、「夢」が「萌え」とはなんとも皮肉なものですね(苦笑)

とにかく、「萌え」はいい言葉だ。ずっと生きていくことと思います。