18日の記事に対する駄目暇のamuさんの解釈について。

http://d.hatena.ne.jp/amuhima/20050419

こちらの方で僕が先日取り上げた「本当の孤独」、BUMP OF CHICKENの現在の近代社会での位置付け、みたいなものにレスポンスして記事を載せてくれたようなのですが、ちょっと意図していた所と違って伝わっていたような所があったので、補足として、追記も兼ねて。

BUMPはミッシェルよりもブランキーよりもイッっちゃってるかも知れない、と書いた。前回述べたのと同じように、それはあるいくつかのの信念を彼らなりの表現として振り切っているからだ。もちろん、衝動をそのままぶつけるという音楽も格好良いしイッちゃってるといえばそうだから、根本からして比べられる物なのではないのかも知れないけれど、それでもその思想を作品に(僕らではない)ぶつける、という形態はこれまでとはちょっと一線を期しているのじゃないかと思う。

そして、その「イッっちゃってる」思想だ。

完全なる個人主義。自己中心主義。

危ないとする所以である。

しかし果たしてこれは、本当に「社会に対するアンチテーゼ」と言えるのだろうか。

とりあえず、筆者が日本にアンチしたいしたくないという点で議論するのは不毛、というかそれはおそらくまず無いので、作品のエッセンスだけ見ることにする。

というか近代社会とはどういう社会であったろうか。それを考えなければならない。

僕は思うのだが、当たり前に近代社会もまた「個人主義」社会ではなかったろうか。

ここで彼は

BUMP OF CHICKENはアンチテーゼなのだ。近代日本社会に対するアンチテーゼ。古い日本人の管理するいまの政府やら企業やらに警鐘を鳴らしているのだ。」

と述べてくれたが、先程の近代社会に対する見解を当てはめるとすれば、全くこの逆、ユグドラシルは、そのまま、その残酷な近代社会を表現した作品だったのでは無かろうか。実際問題、現代社会って厳しいと思うぞamuよ。なぁなぁでやっていけるような世界ではないと。
考えてみて。今あなたは飢えで苦しんでいる子供達が居るのを知っている。知っている、けれど、何もしない。本当に自分勝手じゃないかな?

むしろここ最近のほうは繋がりを重視する社会になりつつあるような気はしますけれどね。(もちろん個人主義の方がまだまだよっぽど濃いが)。貧困階級に対する富の分配(募金等)も10年前に比べたら増えているだろうし。極論、いつか世界が、人々が本当の意味で一つに繋がる時代が来たとき、BUMP OF CICKENないしユグドラシルは近代社会が生み出した一つの悪腫として数えられる時代が来てしまう可能性だってあると思うのだ。



そう、ユグドラシルイッちゃってるよ,この考え方、おかしいよ。と、そう思った人は多分近代社会には深い所で順応出来ないのではないだろうか。(先程は「イッチャッテル」とそのようなことを書きましたが、それはあくまで俗にいう「一般論」と呼ばれる奴です)

ちなみに僕のユグドラシルという作品に対するこの点に於ける感想というのは、「少し違和感は感じる部分はあるがが、やはり理想論でなく理解できるし反論できる訳も無い、この世界の居心地も悪くは無い」といったところです。