何回転んだって、いいの?

正直な所を言えば、実は僕はそこまでダイヤモンドの歌詞の内容には共感していません。
僕は迷ったり、転んだりするのって結構辛い事のように感じています。

できるだけスムーズな人生を迎えたいし、苦労したくてする人間なんてそうそう居るものではないと思います。なんというか、そこまでアウトローにはなれないです。

だいたい、転んでもたついてる間にも、時間は過ぎていくでしょう?そんな事をやっていて、気が付いたらもう何も出来なくなっていたら、、やっぱあんまし転びたくは無いです。

しかしある時ふと思ったんですが、このフレーズって失敗する前とした後では聞こえ方が全然異なるんじゃないかなと。
多分、失敗した後だと素直に聞けるような気がします。そういう時こそが、優しい歌のありがたみを感じ取り易いときなんじゃないでしょうか。
奇麗事のように思えてしまうのは僕自身そんなに大きな失敗をしたことが無いからじゃないかと思います。


で、ちょっとここから展開したいのですが、ところで「失敗」の定義って様々な訳で。
だから、僕はすごい楽観主義であったという見方も出来る訳ですね(笑)。
もともと失敗を意識しないというか恥を知らないというか、そういう風に僕は生きていたのかも知れないです。

ある人なら物凄く恥ずかしくて許せない失敗も、知らずのうちに認めているというか、そういう能力があったのかも知れないというか。

まあそういう自分が嫌だったりすることもあるんですけど。(笑)(当然、一番の理由は人生経験の少なさであることに変わりはありませんが)

そう、だからここ「正解不正解の判断 自分だけに許された権利」とも直接的にでなく、また別のルートで関わってくる所じゃないかと個人的に考えたりしています。