愛という言葉をバンプが使わないのは

バンプオブチキンに於いて「愛」と言う言葉、また「愛しい」とかそういう派生語が使われてるのは、リトルブレイバーの初期の物のイントロを除けば、おそらく「ランプ」だけです。そのランプも、あまり具体的でなく、誤解を恐れずに言えば、全体からしてあまり愛という言葉自体に重さは感じません。何故バンプが「愛」と言う言葉をこれほどまでに使わないのか。
…まあ分かんないんですけど、そこは(笑)
でも、僕の感じる所では、BUMP OF CHICKENの音楽って愛とか優しさに満ちていると思います。
「愛とか優しさ」。何度と無く「優しさ」とかこのブログでも書いてきましたが、改めて見返すとその言葉自体では何とも陳腐な物かと思います。こんな言葉でバンプオブチキンを表現できたら何の苦労は無いよなあ、、と。
つまりそういうことかなって。
例の、初期リトルブレイバーLIVE音源の歌詞も、そのことを言っているんです。

何をもって 勇気と呼んで
何をもって 愛と云う
僕がここに 居る意味は
何をもって 証明される

年をとれば 背も伸びて
言葉も沢山 覚えたよ
年をとっても 時が経っても
何を誇れば いいのでしょう
・・・・・

伸べられた手を掴んだその時に、守りたかったのは自分かも知れない。そんな愛もあるかもしれない。
生きてるものを見つけただけ、確かな物はぬくもりだけ。そんな愛も、あるだろう。
…もう嫌というほど「愛」という言葉を使ったな、恥ずかしくなってきたぞ(笑)
「何を以って愛と呼ぶ」のか、それが判らないから、言葉に出来ないその形を探して歌にしてるのでしょうね。
PS.

夢や希望愛安心の類 それを手にする力がが情熱

てありますが、
『愛を手にする』って一体どーいうことなんでしょーね。
はてな