知の無知〜知っているけど思い出せない、大切な物〜

無知の知」という言葉があります。「私は私に知らないことがあると言う事をを知っている」という意味のソクラテスの言葉です。
そこで「知の無知」!某友人の考え出したオリジナルの言い回しです(笑)その意味は、
「知っているが思い出せない」
・・・実にシュール。高1の倫理のテストの時、わからない所をこの言葉で埋めたら「おもしろい!」という先生のコメントがついて何点かプラスされて返って来たそうで。
 ・・・
さて知の無知。「知っているが思い出せない」という感覚は、誰しも味わったことがある感覚だと思われます。喉元まで、出てきている感覚、然し言葉にならない。ある時は、きちんと覚えているはずなのに忘れちゃったな・・と、つまり、「そこに居るのに、居ないと気付く時もあるでしょう」。しかしながら、「思い出せない」と言うことは、反面おぼろげなその対象物をどこか「覚えている」と言うことの表れではないでしょうか。

色褪せて霞んでく 記憶の中 ただ一つ
思い出せる 忘れられたままの花

そういえば「記憶」という言葉がここでも使われていたなぁと思いつつ、このフレーズです。
ハルジオンは、一見矛盾したような、そういう表現が中核を担っている歌詞を有しており、それが一つの鍵となってロックチューンでありながらどこか儚げな印象を与えます。その中で、「思い出せる 忘れられたままの花」。終局でこの花は「折れる事無く 揺れる 揺ぎ無い信念だろう」として「忘れられていた名前」が明かされますが、「揺れる」「信念」「名前」という言葉から、それぞれ、firesign、メロディーフラッグ、夢の飼い主、プラネタリウム等と言った曲が想起されます。
本当にその存在を忘れてしまったのなら、忘れてしまったとすら思わない筈です。それで人間ってとてつもない数の事物を忘れて、しかもそれを殆ど覚えていない生き物だなぁと思うんですが、だからこそふと「思い出す」瞬間が来てしまうわけです。

汚さずに保ってきた手でも汚れて見えた
記憶を疑う前に 記憶に疑われてる

ずっとそこに居たのに、居ないと判断していた(というかそんな判断の過程を経るまでも無く存在を認識していなかった)事物が突然そこに現れる感覚、ずっと前から出会っていたのに、初めて出会った感覚です。まさに「知っていたが思い出せなかった」という無知の知です。
 逆に、忘れたい物を忘れられず、忘れたくない物を忘れてしまった(喪ってしまった)のがロストマンという曲です。

寂しさなら忘れるさ 繰り返すことだろう
どんな風に夜を過ごしても 昇る日は同じ
中略・・・
忘れたのは温もりさ 少しずつ冷えてった
どんな風に夜を過ごしたら 思い出せるのかなぁ

寂しさを忘れるつもりが温もりを忘れてしまったという主人公を絶妙な対比で描写しつつ、ギルドで唄われているような「日常」についてのキーワードをちりばめ、夜、温もりという単語でその他の曲とを繋ぎ合わせてしまうフレーズ(ロストマンこんなのばっかだから書きようがねえんだよ!!いや書けるけどえらいしんどいし!密度高すぎ)です。この曲についてはあまり深く触れると帰ってこれないので程々にしますが、僕が思うに「遠ざかって消えた背中」と言うのは「君」が一方的に離れたともとれると同時に、「僕」もまた彼女から遠ざかっている事の表現であり、つまりロストマンはそういう主人公を描いているのではないかと。君と僕、そして2者の過ごした瞬間は2つの2次方程式のグラフ、そしてその接点のような…。そして主人公が「君」に気付くのは接点以降の、グラフ「僕」における(接点のx座標+3)x位の位置で、そこで遠ざかっていく点「君」を見ているような感じです。相対速度っていうか…。
話を戻すと、彼もまた「喪失の存在」に気付いたという事です。温もりの感触を「忘れた」と彼は云う。然し、そんなことが云えるのはまだどこかで温もりを覚えているから…。
・・・
思えば1stの頃から「Tシャツに昨日染み込んだ タンポポの匂いが忘れらんない」「僕の行きたい場所に行くよ 小さな頃の歌を思い出す為に」と唄ってきたバンプです。取り戻したい空気感、想い、そういうものはかなり作品の根底にあると思われます。それにも取り戻せる物、取り戻せない物とがあるとロストマンでは唄いますが、最終的にはsupernovaの一節に帰依すると思われます。

本当の存在は 居なくなってもここにある

P.S.
でもだからこそ、居なくなってここにない、思い出せない透明な存在を忘れたくないなとも。思いますcf)「知らない物を知ろうとして/見えないものを見ようとして」「忘れないで いつだって呼んでるから」