伝えきれなかった、グッドラック−彼は何を言うことができたのか?

 グッドラックは、走馬灯の様な詞だなと思います。その言葉が具体的な場面で実際に発語されたものなのか、物語の主人公があとから追想して出てきたものなのか、まずそもそも物語の枠組みで語ることが正しいのかどうか。
 ここでは、歌詞の全てが、追想であると仮定して考えてみたいと思います。
まず冒頭です。

君と寂しさは きっと 一緒に現れた
間抜けな僕は 長い間分からなかった
傍に居ない時も強く叫ぶ 心の側には
君がいる事を 寂しさから教えてもらった

この部分に代表されるように、Aパート(この曲は16小節のフレーズ2パターンのみで構成されています)は語尾をチェックすると、全て過去形になっています。ところが、Bパート部分は、現在形の呼びかけがメインです。

くれぐれも気を付けて できれば笑っていて
忘れたらそのままで 魂の望む方へ
僕もそうするからさ ちょっと時間かかりそうだけど
泣くたびに分かるんだよ ちっともひとりじゃなかった

この部分を聴くと、「僕は歌うよ/歩きながら/いつまで君に届くかな(同じドアをくぐれたら)」という一節を思い出します。くれぐれも気を付けて、できれば笑っていて。実際に別れの場面でも、こんな言葉を交わしたのかもしれませんが、個人的には、届くかどうかも分からないつぶやきを、詮方なく涙を流しながら心の中で繰り返してしまう主人公の姿を想像してしまいます。「できれば笑っていて」という願いが、自分にとって「ちょっと時間かかりそう」だなんて思ってしまうのは、きっと今彼がそこで涙しているからなのではないでしょうか。
しかしながら、その涙はただ悲嘆ばかりが詰まっているわけではありません。「泣くたびに分かるんだよ ちっともひとりじゃなかった」。最後のBパートで「君とさみしさはいつも一緒にいてくれていた 弱かった僕が見ようとしなかった所に居た そこからやってくる涙が何よりの証」と唄われますが、その様に、君がいることを実感するからこそ、「僕もそうするからさ」と強がりでも前を向けるわけです。この部分は、しっかり噛むとものすごく味が出てくる部分なんじゃないかなぁと思います。

曲を一通り聞くと、言葉一つ一つは強いけれども、全体として儚げで不安がちな印象を受けます。これがどういう気持ちで歌われているのかな、と考えを巡らした結果、「何も言えなかったこと」に対するやり切れない思いなのではないか、と言うのが今の僕の考え方です。

君と寂しさは きっと 一緒に現れた
間抜けな僕は 長い間分からなかった

“間抜けな僕”という自嘲のフレーズが、痛い位突き刺さってきます。

さよならした時 はじめてちゃんと見つめ合った
足りない言葉の ひとつひとつを抱きしめた
まっすぐなまなざし

真っ直ぐな眼差し・・・。この部分の余韻に“伝えきれなかった悔しさ”、そして、それでも構わないと思わせるような、絶妙な空気感を感じます。

何も言えなかったこと、本当に伝えたかったことを、唄に仮託して、唄い、聴く。届くはずの無い、誰かへ対する祈りは、一つの懺悔のようにすら響きます。

くれぐれも気を付けて できれば笑っていて
騙されても 疑っても 選んだことだけは信じて
笑われても迷っても 魂の望む方へ
思い出しても そのままで 心を痛めないで
君の生きる明日が好き その時隣に居なくても
言ったでしょう 言えるんだよ いつもひとりじゃなかった

一体、かれは、何を「言った」のか、そして「言える」のか。
私的には、「いつもひとりじゃなかった」、とくに「ひとりじゃなかった」の部分ですね。この唄はすべて回想で、実際の別れの場面には主人公はほとんど何も言えなかった、という本文の過程に戻ると、一回目のBパート部分で「ちっともひとりじゃなかった」と唄っているので、「言ったでしょう」にあてはまるのかなと思います。
また、いずれにしても「ちっともひとりじゃなかった」から「いつもひとりじゃなかった」へ変わっている点は見逃せません。逡巡を経て、過去の自分のことを遠いまなざしで、より確かに「ひとりじゃなかった」と言い切る強さを感じます。

追想としてしか語られない別れの場面を始まりにすえつつも、あくまで「時間とともに深まっていく相手への想い」に焦点を絞って唄われた唄。僕はグッドラックをそんな風に受け取りました。

追記:
余談ですが、

手と手を繋いだら いつか離れてしまうのかな
臆病な僕は いちいち考えてしまった

ここの部分は、作品中でひたすら唄われている「君」ではなく、新しい出会いの時に主人公が思ったことなんじゃないかなと考えています。別れの際に手を取り合うという感じだと「いつか離れてしまうのかな」って言葉は不似合いかなあとも思いますし。