ささやかな記憶とともに

R.I.P.の解釈というか感想だじょー。

今回ばっかりは初聴の時は曲構成とか各パートの複雑さに意識が行ってしまった笑 1番のAメロBメロあたり、ツーバスハイハットアルペジオの絡みなんかがPeople In The Boxみたいな香りプンプンでしたが、サビのメロのノートリックさとか音響的なオケで、良くも悪くもやっぱBUMPだなと。煌びやかなディレイのバッキングも印象的。サビ前とかCメロでさりげなく変拍子を入れてます。一見地味ですが、コレのおかげで疾走感というバンプの武器がさらに増強されてます。クランチギターのソロストローク後の間奏なんかは、全員で頭食って入ったり、4/3/4/4/2拍子(割り方これでいいか分からんけど)とかテラプログレ*1。ハイパーリズム隊(升&直井)タイムなわけですが、ここの変拍子も、そのあとくるブリッジのサビメロの歌に、拍の帳尻が合わさる感じが見事で、きちんと「歌モノ」として巧くやっているなと。短絡的に「今回ちょっと難しいことしてみました―」的意図で構成したのではないことが察せられます。


じゃ、そろそろいつもみたいな感じに。かるくさわりだけ。

自分がそうなんですが、Aメロの歌詞で、なんか今までと違うな、と感じた人は多いのではないでしょうか。
「具体的な固有名詞を連ねて情景を喚起させる」というのはこれまでもよくあった手法でした。

週末の大通りを 黒猫が歩く ご自慢の鍵尻尾を水平に 威風堂々と

LIVING DEADの楽曲などは、特に顕著にこのような形式で「物語」が紡がれていました。
でも決定的にどこか質感が異なります。少なくとも僕は、「R.I.P.」を聴いて、上記の「「K」とか、「天体観測」などの過去の名曲を彷彿とさせられる」ことまったくありませんでした。
R.I.P.」風にKの冒頭を書き換えてみるとこうなります。

週末の大通り 歩く黒猫 水平にご自慢の鍵尻尾 威風堂々

まあなんとなくお粗末なのは否めないが勘弁してけろw お気づきの通り、ほぼ体言のみで歌詞が構成されている点がBUMP OF CHICKEN的には新しい。「BUMP OF CHICKEN的には」というのは、割とこういう風に言葉を連ねる方がその他多くの歌には一般的で、むしろLIVING DEAD的な叙述の方がJ-Popの中では新鮮でしたし、BUMPの特徴的な要素の一つとも言えました。

この詞の大きな軸として「記憶」(のささやかさ、分かち合えなさ…)というテーマがあると思いますが、その表現のために、ややもすると陳腐になりがちな体言止め連発という手法を使ったのだと考えています。
前述したとおり、BUMPの評価の際に「物語的な歌詞」という表現が使われていました。今作も、与えられたフレーズ=断片的な映像を聴き手が頭の中で再構成して、物語を見ることはできます。ですが、それはもはや「物語的な歌詞」ではありません。「断片的な映像を聴き手が頭の中で再構成して」と書きましたが、この「断片的な映像」こそ、まさに主題たる「記憶」のありかただからです。

逆を言えば、天体観測は「君の震える手を 握れなかったあの日」(とそれを悔いつつも「今も今を追いかける」こと)を歌った歌でしたが、それはあくまで「記憶」を歌った「物語」であって、「記憶そのもの」を提示した歌ではなかった、とも言えます。「スノースマイル」や「車輪の唄」などにも同様のことが言えます。
同様に、これまでBUMP OF CHICKENは抽象的な概念としての「記憶」一般は幾度となく扱ってきました。しかし、「同じドアをくぐれたら」にせよ、「涙のふるさと」にせよ、具体的な記憶についての記述はありませんでした。「arrows」にしても、「嫌いな思い出」とは何か触れることはなかった。

また、この「記憶」が、素朴に聴き手のノスタルジアを喚起するためだけに、ありそうな情景を切り取って並べただけのもの、という批判も今後出てくると考えられますが、そういうレビューをした方は

君もきっと そりゃもう沢山 持ってるでしょう

というフレーズを見落としているという点で、批判されてしかるべきでしょう。メロに対しての詰め込まれ方は他の個所と比してかなり異質であるとともに、「いつものように」、いきなり語りかけるよな話しぶりになっているという点、聴き手に、書き手歌い手「藤原基央」という、誤解を恐れずに言えば単なる他人の記憶に耽溺するのでなく「自分自身の記憶」にこそ目を向けて欲しい、と目を覚まさせる非常に重要な役割を担っていると解釈すべきでしょう。Aメロ部の「藤原基央」の記憶は、例え似たような記憶を聴き手が持っていたとしても、あくまで「君の居ない記憶」でしかないことは曲中で何度も繰り返されています。この点で、ありがちな(そうだな…例えば「夜空ノムコウ」のような*2)他者のノスタルジーをあたかも自分のものとして安易に扱うことを拒んでいる。そして、「宝物のような記憶を君も持っているでしょう?」と歌われた直後に、

そこに僕が居なかったこと

と、勇壮で優しくて、どこか悲しげなメロディーが続く…。きちんと聴かないと分からないけれど、本当に巧い。これ、J-Pop的にも新しい。おいおい鳥肌がたっちまうじゃあないか。
あと、邪推ではありますが、こういうことに書き手がなのは敏感、彼が3丁目の夕日という作品に触れたことも関わっているような気もします。

記述するという点で何らかの取捨選択のフィルターを経ているわけで、その意味ではこのAメロ部分も「物語」に過ぎないと、すなわち、これまでの曲に通ずるという評価ももちろんできそうですが、あえて指摘するのならこの新しさの方でしょう。
そして、「分かち合えない日々のこと」を確認したらば、いつか終わる日々を知ったならば、痛切に,大切な人との記憶を作って生きようと思う。

同じものを見られたら それだけでいい 
同じ気持ちじゃなくても それだけでいい 
変わっていくのなら すべて見ておきたい
居なくなるのなら 居たこと知りたい

ちょっぴり独りよがり。思いの純粋さとも言える。
かくして、過去が未来につながっていく。


「記憶」についてはこのような感じでしょうか。
あらすじの解釈とかは特にする予定ありませんが「寂しいのは無(亡?)くしたからじゃない」とか、「ここに誰が居たかっただろう それが僕に なり得ること」とか、肝心の「R.I.P.」の意味がよく分からなかったり。
毎度ながら、また別な側面から書くかもです。

*1:てかやっぱピープル臭い

*2:普通にこの曲大好きですが