弱さを知りつつも「舵を取れ」と歌うこと

R.I.P.解禁までは、と思っていましたが、なんか気が向いたので。

もう2chのスレに張り付きまくって、フライング音源うpられんかどうかハイエナの如く過ごす日々ですしたが、それはまあともかくとしてスレにあった「ワンピースの映画の主題歌はバンプ」説にものの見事に踊らされていました。
結局担当するのはミスチルということで、ほほう、という感じ。「ほほう」、というのは、今のところ歴代のワンピ主題歌の中では、作品の主題を毒抜きすることなく伝えているという点で、BUMPのsailingdayという歌こそ最も優れたものだと考えているので。

まあ所詮アニメだし、ゴールデンタイムだし、ルフィ(海賊団)の「好奇心と探求心、そして無邪気さ」の部分を照らし上げた曲だとか、少年少女の冒険譚に見合うような素直で雄大な友情を称えるような曲とかでも、決してそれらは「間違い」ではないどころか「正しい」。ただ、それらはどうしようもなく、on the ground:『ONE PIECE』における正義と信念の問題

で指摘されているような本質部分を抜かれてしまったものという他ない。

「夜明けを待たないで帆を張った愚かなドリーマー」
「数えたらきりがない ほどの危険や不安でさえも 愛して迎え撃った 呆れたビリーヴァー」
「嵐の中嬉しそうに帆を張った愚かなドリーマー」

原作を一度でも読んだことがある人ならば、歌詞中のフレーズを目にして、もはやルフィの顔ばかり浮かんできて仕方ないはず。そういう表層的なイメージ面における主題歌としての役割も当然果たしているけれど、上記のフレーズに既に見え隠れしている様に、「強い信念がただしさを生む」という物語の核心部分にまで触れていく。

正解不正解の判断 自分だけに許された権利

テレビアニメを傍で見て、時折目や耳に入ってくるルフィの言動にニヒリスティックな感慨を抱く父兄は少なからずいるだろうが、ややもするとこのフレーズもまたそのような印象を与えかねない。でも、ここでの「正解不正解の判断」とは、両A面シングルとして発表されたsailingdayの相方、ロストマンという曲中の「間違った旅路の果てに 正しさを祈」るような行為と解したい。そうして僕らは、ルフィの言葉や行動に、sailingdayという曲に、その危険性に理解していたとしても*1、こっぱずかしいくらい、奮い立ってしまう。
そうして、実にエゴイスティックで個人的な意志の集まり―海賊たちや一部の海兵、あるいは歴史に名を残すことなく死んで行く人たちの群雄割拠の状態を、「誰もがみんなそれぞれの船を出す それぞれの見た眩しさが灯台なんだ」と歌う。海賊王にせよ、海軍大将にせよ。

唯一主題歌としてここどうなのって点があるとすれば、おそらくワンピースに対する作者の思い入れの強さによって、曲の中に彼の解釈や感想が入り込み過ぎている点でしょうか。ルフィというキャラクターの性質上、ハートが空になったり、途方に暮れるというのは、彼が主として行うことではない。むしろ読み手の方。ワンピースで言えばコビーみたいな奴らなわけです。その辺に、ちょっと違和感を感じないこともないわけです。ルフィこんな弱くねえぞ、と(笑)「グングニル」なんかの方が主題歌としてあってるんじゃないかとか、そういう話をよく聞きます。「人の、そして自分自身の夢を笑うな!」と、言うワンピースに初期から一貫しているメッセージが、sailingdayとは違って完璧に閉じ切った、寓話的な物語の形式で描かれている点で、作曲者のパーソナルな解釈・感想という「不純物」が無い。
とはいえ、「不純物」が故の共感も可能です。、きちんとどこからどこまでという線引きさえ出来てれば、ワンピースという作品やその登場人物が持つ力強さをうまく自分の「ハートに注ぐ」手引きともなるわけで。なにより、そういうのあるのが垣間見えた方がアツくなれるやんな。

現実問題、僕らがルフィのようになれるかといえば、せいぜい中学生まで*2。どうしたって、いろんな臆病や計算や値踏みやらが心を覆うようになる。でも、そういう弱さに気付いているからこそ、「それぞれの見た眩しさ」へ向けて、「舵を取れ」!と鼓舞することに、また違った感情が生まれる。それは、結果的にワンピースの読後感と似たものとなっているように思えます。

*1:http://d.hatena.ne.jp/rslog/20050418 および http://d.hatena.ne.jp/rslog/20050419 「近代」という言葉はアタマに「後期」と付けて好意的に読んでください笑

*2:こんな規範めいた一般論をしたり顔で言ってしまう俺は、その意味でもルフィとは程遠い場所にいる