fire sign,誰かの為に生きるとは?

「情けは人の為ならず」と諺にあります。よく、『「情けをかけるのはその人の為にならないから」というのは間違っていて、「巡り巡ってその恩が自分に回ってくるから」というのが本当だよ』と言われたりします。
別にどっちの意味でも真理を付いてんじゃんと思うんですが、firesignにおいてこの言葉を眺めると、この言葉に対してまた違った形の解釈が生まれてきます。

誰かの為に生きるという 想いを込めた旗を抱き
拾ってきた笑顔の中に 自分の笑顔だけ見当たらない
いつか聞こえた泣き声を ずっと探してきたんだね
少し時間がかかっただけ 自分の声だと気付くまでに

 物事を実行することにおいて、「やりたいからやる」というのは真理であると思われます。やりたくないことをやっている、なんて言う方も居ると思いますが、でもそれって「行動の辛さ」と「しなかったときの辛さ」の足し引きの結果、自身の選択として「行動の辛さ」を選択したに過ぎないのではないでしょうか。さらっといってしまいますけど。つまり、どんな行動もエゴであるのです。エゴとエゴのぶつかり合いで、その結果として救い合う時もあれば傷つけあうときもある、そういう風にして人は関わり合っているのだと思っています。「誰かの為」というのは、そのほっておけない気持ちを解消するために自分が何かをしたいというエゴであり、そして「優しさ」とも言うかもしれません。AL、「JUPITER」収録「メロディーフラッグ」では、

少しでも傍に来れるかい すぐに手を掴んでやる

という主人公を描いていましたが、「supernova」では

伸べられた手を守ったその時に 守りたかったのは自分かもしれない
君の存在だってもうずっと抱きしめてきたけど 
本当に怖いから離れられないだけなんだ

と、物凄く痛いところに、自分で自分に突っ込んでいます。supernovaはとても優しい感じの曲ですが、その「優しい感じ」ははたしてどこから来ているのやら、と人間の性質について疑わざるを得ないところです。

「人の為」とは「偽」、「自分の為」、なのかもしれません、いえ紛れもない事実でしょう。しかしそれを知りつつなお人は生きねばなりません。
主人公は支えてきたその旗を大地から引き抜きました。しかしその旗を捨ててはいません。