僕らの中の僕

僕らの場所は 僕らの中に
どんな時も

とfire signでは唄われていますが、この部分は2通りに解釈することが出来ると思われます。
まず、「僕らの場所」というのは「僕ら」と言う集団の全員が共通に持つ場所だと捉える方法。例えばクラス・学校といった概念や、二人、三人、四人の思い出の場所だったりに置き換える事も出来ると思います。
もう一つは「僕ら」と言う集団の「僕」一人一人が、めいめいに自分だけの場所を想っているのだと考える方法(この曲中では、平たく言えば「誰しもありのままでいいのだ」というメッセージを持ちます)。逆に言えば、「場所を持つ」人間の集まりを「僕ら」とした、とも言えるかもしれません。
僕は後者の方を断然推したい。一つにはバンプオブチキンがこれ迄、これ以降、そういう歌を歌ってきているから。もう一つにはよりポジティブ−前に進むためにより威力的な唄として存在するから。そして「僕」の中にある「命の灯」と言う単語が圧倒的に生きてくるから。

卒業式や3年生を送る会なんかで唄われてもおかしくない様な、とても清清しくて力強くて壮大なこの曲ですが、ベースとなっているのは絶対的な孤独感。その孤独感の最たる部分である「僕らの場所は僕らの中に どんな時も」と言う部分がここまでポジティブに歌い上げられています。
孤独は悲しい事なんかじゃなく、絶対的な事実。そしてその事実は自分はどこに居ても自分でしかないのだと言う、ある種の安堵感、希望感がそこにはあるように思えます。唄うように囁くように、どこからともなく聞こえて来るような来ないような声に耳を欹て、また辛いことがあっても苦しい事があっても、なんでか歪まないままでそこにちょこんと佇んでいるその思考を知覚し受け入れることこそが、ヒッチハイクして泣きじゃくっている自分自身を助け出す第一歩となるのかもしれません。