僕にしか見えない

いつだって見つけるよ 
君の場所は 僕しか知らない

僕しか見えない

大きな孤独と小さな誇りが主人公の中でその「君」をより一層輝かせています。果たして、「僕にしか見えない」「君」の存在が彼に与えるのは絶望かそれとも否か。
結局、言葉(名前)にも歌にも、全てのメディアは何かを伝えるために存在しているにも関わらず、どうしても超えられない壁があるように思えます。気質、経験、そういうものの複雑に絡み合ってたものが人間のパーソナリティ形成に強く反映される以上は、誰かの世界をまんま体得、体感する事は不可能でしょう。だから、理想や行為は人それぞれの物がいくつも生まれて来るわけです。
誰にもそれぞれ「僕しか見えない」何かを持っていると信じたい。世界の色は誰にとっても均一ではなく、ある人のある時期にはモノクロに変わり果てしまったり、またある人のまたある時期には桜色に染め上がったり。
遠く、両手に掴みたい物、景色は、いつも心の中に溢れて居たりします。しかし、それはどうしても掴めないし人に見せる事は出来ない。躓きながら辿り付いた場所が、望んだ物とは少し違っていて、やっと手にしたと思った瞬間にその姿を消すのです。「僕しか見えない」と思っていたものは幻だったのでしょうか。
それは幻かもしれない、然し、自分以外の誰にも見えないけれど、確かにそこに消えそうな位輝いているのです。
現実と理想のギャップが次第に薄れて日常となっていくのか、或いは思い描く景色に一歩でも近付こうとまた躓きながら転がり続けていくのか。どちらにせよ、その理想が大きければ大きいほど現実が完璧に一致する事は難しくなってくる様に思われますが、だからこそ「君」は誰の直ぐ傍にも居続けてしまうのでしょう。