条件付き承認は不承認である

初めてタイトル聴いたとき、今日5月1日のことだと信じて疑わなかった(笑)だって「労働者」の「祝日」でしょー、まさに「人間という仕事」の同業者組合(=「ギルド」)に属する人たちにとっての「ホリデイ」じゃん。しかもこれって原理的に矛盾してることであって、どうやってこのパラドックスを埋めるのかと期待するとともに自分で勝手に物語とか作り始めちゃって。これはひょっとして社会的にめっちゃ影響を与えるシングルになるんじゃねえの!?と思ったらぜんぜんテーマが違ってたという。

雑談はこの位にして、哲学者シュタイナーの引用から。

条件付き承認は不承認である。

何であたしのコト好きなの、と聞いて、かわいいから、という応答に素直に喜ぶのは、余程承認に飢えているかおばかさんのかどちらか。なぜなら、彼氏の応答は、もしも彼女が可愛くなかったら好きではなかったということの裏返しだから。「他の誰でもない私」を端的に承認するものと異なる。*1
メーデーでの「口付け」とはどのような口付けか、という問いに対して、「承認の口づけ」と形容したい。

口付けを預け合おう なくさずに持っていこう
君に嫌われた君に 代わりに届けるよ

「君に嫌われた君」がなぜ「君」に沈められたかと言えば、条件付き承認(例:優しい娘なら、子供好きな娘なら、頭のいい子なら、好き)の溢れかえる日常で、その条件に不適合である自分(例:嫉妬心の強い私、子供嫌いの私、周りの話に付いていけない私)をひたすら置き去りにする必要があるからだ。そうでなければ、この日常で承認を得ることは難しくなる。その時の取捨の基準は外部、世間のもののはずであるが、この基準は内面化され「君」はあたかも自立的に「君」を嫌うようになる。
 深さの分からない水溜りの前に立って、持っている鉛の玉を落とす。「沈める」という行為は、最後まで行動主体がその動作を担うわけではない。手を放したら、後は万有引力の法則に従って落ちてゆくのです。それは忘却が時間の推移によって果たされる事と似る。時間が現在に層状に堆積してかつて現在と呼ばれたものを過去にしてゆき、時が経てば記憶は沈殿しているように見えてくる。「沈める」≒「忘れる」。
 現在の変質によって忘却が開始され、忘却によって現在は変質を被る。現在の自分を能動的に変えてかつての現在を過去のものとして沈殿させようとする試みが成功することで、過去=かつての現在のその形は急速に朧となる。殆ど見えなくなるころには、忘却への試みさえ忘却され、新たな現在が忘却跡地の空白に侵食する。こうして、(条件付き)承認を受けるにふさわしい〈私〉が立ち上げられていく。

君に嫌われた君の 沈黙が聴こえた
君の目の前にいるのに 遠くから聞こえた

抑圧の中で、漏れ出した沈黙。祈るようなメーデー。承認の対象外であった〈私〉。
彼女をどのように解き放つか。そのツールとしての「承認の口づけ」。重要なのは「口付けを預け合」っている点。「『君が承認してくれたはずの僕』は、「君の全て」を承認している。だから君は「君の全て」を受け入れられない事は無いんだよ、少なくとも君が僕を信じてるならば」という論理。承認が相互のものでなければならない理由もここにある。

*1:ちなみにこの説明は宮台真司のものによる