ART-SCHOOL×BUMP OF CHICKEN

毎回のごとく今回も、無礼を承知でわがままにフォーカスします。

ART-SCHOOLBUMP OF CHICKEN。コインの裏表という表現が僕の中ではとても似つかわしいです。同じものの、裏と表。アートスクールとバンプオブチキンについてふとそう思ってしまう事がよくあります。サウンドもヴォーカルもあまり似ておらず、詞全体の雰囲気も違うのですが、所々のキーワードではっと他方の楽曲を喚起させられる事がよくあるのです。そして、その時僕の中で互いの楽曲は反発し合ったり同調したり、そういう風にしてメッセージを投げかけてきます。

バンプオブチキンにおいて、3匹の猫はあまりに有名です。『ガラスのブルース』『K』『ダンデライオン』、これらの3曲においてその主人公である猫たちは全てその命の尽きる所まで描かれています。

ああ ぼくはいつも精一杯 唄を唄う

忌み嫌われた俺にも意味があるとするならば
この日の為に生まれてきたんだろう どこまでも走るよ

もう元気な声は出ないけど 不思議と寂しくない
この心の温かさは おそらくお前がくれたんだ

人それぞれの感想があるでしょうが、さらっと書いてしまえば生への希望、信念、活力、そして迎えた死、そういうものを感じます。

しかしARTの「しとやかな獣」では

アスファルト 舗道に捨てられた 子猫のあの死骸を 見てたら涙がこぼれて
何故だか似ている気がして 美しい しとやかな獣よ 貴方は汚れたままでいい

補導に捨てられた、という部分でいささかの議論はあると思いますが、捨てたのが人間とかではなく、神や運命のような存在が、という風にもとらえられ、とすればバンプの視点とは全く正反対であり、ネガティブです。

しかしおそらく、「ガラスの眼を持つ猫」が「星になった」という事実を藤原氏が目撃したとき、つまり、その死骸を見たとき、おそらく「しとやかな獣」で表現されたものに似た感情も確かにあったと推測します。
ガラスのブルースにおいて、「ああ僕はいつも唄を唄う」というのは猫の想いであり筆者の想いでもあるので、そこで藤原氏が猫にシンパシーを感じていたのは明らかです。さらに「firesign」では

汚れた猫が歩いていく 行きの道か帰りの道か

という一節もあり、

貴方は汚れたままでいい

というアートの表現と非常に近いと感じます。


汚れという観点で少し話を進めてみても、非常に近い物を感じます。
つい先日ARTは「paradise lost」(今作は本当に僕の中で神認定)をリリースしました。「理想郷の喪失」として冠された所から、ここはここでバンプとの共通点を感じます(しかしながらバンプのそれとはもう一歩、大きく一歩踏み込んだ表現で統一されていますが)。そして、アルバムのテーマとして『全ては許されている』と、木下氏は述べています。
アルバム内の,「LOVE LETTER BOX」という曲で

she don't know 世界は君のものだって 知らない
she don't know 演技は止めていいんだって 知らない

と、この曲はその全ては許されているというメッセージが凝縮されているように感じています。

またバンプオブチキンの「汚れ」に関する曲は「夢の飼い主」「レム」などなど他にもありますが、その中でも「ギルド」は今現在では最もストレートな形のものなのではないでしょうか。

汚れちゃったのはどっちだ世界か自分のほうか

汚れたって受け止めろ 世界は自分のモンだ
構わないからその姿で生きるべきなんだよ

など、まさに自己の汚れについて(「全ては許されている」よりかは幾分きつめの言葉ですが)述べているといえるでしょう。
ところで、「自己の汚れ」と述べましたが、はて、これは「karma」と同義ですね。

汚さずに保ってきた手でも汚れて見えた
記憶を疑う前に記憶に疑

おそらく「カルマ」でもそのようなことが表現されるのでしょう。


また、「光」「灯り」「眩しさ」という観点から見ても共通点は見られます。

その灯りを消してくれよ/その灯りは眩しいから(醜いから)/その灯りを消してくれよ/その灯りは…
(ウィノナライダー・アンドロイド)
ダニーボーイ/何故か眩しくて/届かなかった
今朝君が泣いてるのを夢で見たよ/どうでもいい/君の匂いが残ってるから
(ダニー・ボーイ)
光の中へ君は/触ろうと手を伸ばしたのさ/僕は思い出すんだ/永遠に触れなかったことを
(butterfly kiss)

君がライトで照らしてくれた/僕には少し眩しすぎた(暖かくて寒気がした)
(太陽)
消えそうな位輝いてて/触れようと手を伸ばしてみた
一番眩しいあの星の涙は/僕しか知らない
(プラネタリウム
一人に凍えるこの手が/触ることを許された光
(オンリーロンリーグローリー)

光に対する畏怖と憧れ、そこがひとまずの両者の共通見解でしょう。
しかし、曲調も歌詞もやはりARTはネガティブです。というのも、やはりARTの印象として絶望を常に提示し続け、そこからほんの微かな希望を見出す、というのがありますが、その点BUMPは絶望(現実)を提示た曲も多くありますが、詩も曲もほとんどが前向きな形で終わっているような感じです。
それでも「ダニー・ボーイ」と「プラネタリウム」の2曲なんかはアコースティックサウンド、バックの電子音に近いギターサウンドなど、掛け値なしに似ている(その似方に何か感じる)し、歌詞でここまで同じ単語が使われていて、曲調・メロディー・メッセージがこれだけ違うとは(似ている部分もある)むしろ感動を覚えます。
余談ですが、「オンリーロンリーグローリー」と「LOST IN THE AIR」と、両者ともグロッケンが用いられているのですが、使われ方の違いが非常に興味深いです。
「オンリーロンリーグローリー」のそれが純粋な、明日へと駆け出していく様な希望を表しているとすれば、「LOST IN THE AIR」のそれは絶望の淵から見えた、「消えそうなくらい輝いている」儚い希望。サウンド処理も微妙に違っているようです。
またさらに、しっかりと確認はしていないのですが両者のラストのグロッケンの音階は全く同じ(か、それでなくてもほとんど同じ)なのです!!これはARTは確信犯なのでしょうか?(笑)どちらにせよ、この2曲のグロッケンはぜひ聞き比べていただきたいなぁと思います。


それぞれの1stアルバムを色彩的に捕らえたとするならば、間違いなく「FLAME VEIN」は情熱の赤、ARTはメランコリーのブルーとして僕個人の中では解釈されています。おそらく、1stアルバム発表と字の段階で両者を聞き比べても、類似点は発見できないどころかそれぞれの対象物全く違ったものと受け取っていたでしょう。
近作「paradise lost」は紛れもなき名盤です。現段階でのBUMPの最新作「ユグドラシル」もそうであることは変わりありませんし、完成度がどうのこうのとかいうつもりは全くありません。
しかしながら、やはり「paradise lost」、「ユグドラシル」をアルバム全体として見てみると、まだ対照的なアーティスト、とは言えないというのが正直な感想です。
しかしこれまで述べてきたとおり、片鱗は間違いなく多数存在しています。
この2アーティストが今後どのような楽曲を生んでいくのか、非常に楽しみですが、行き着いくところがあるとするならば、それは同じところなのではないかと僕は思うのです。